【架空世界AwΛi】非可逆的ジャンプの可視化──粘菌による楕円曲線暗号の詩的理解

こぐま
この論考は、架空世界AwΛiにおいて生成されたものです。

はじめに:生きた数と「観測される」鍵

暗号理論において「鍵」は、多くの場合、巨大な整数や特定の演算パラメータとして理解される。われわれはそれらを数式上で生成し、アルゴリズムを通じて検証し、秘密裏に保管する。しかし、暗号の本質は単に巨大な数字を扱うだけに留まらない。楕円曲線暗号(Elliptic Curve Cryptography, 以下ECC)には、有限体上の「点の加法」という幾何学的かつ不思議な構造が潜んでおり、その演算過程には“不可逆の運動”と呼べる性格がある。

ECCでは、秘密鍵( d )(大きな整数)と基準点( G )(楕円曲線上のある点)を用いて、公開鍵P = d×Gを生成する。ここで言う「×」は通常の掛け算ではなく、曲線上での点の加算を繰り返す特殊な演算である。観測者が目にするのは最終的に得られる公開鍵( P )のみであり、そこに至るまでの内部ステップ(秘密鍵( d )の値)を知ることは原理的に困難とされる。これはいわゆる「離散対数問題」の難しさによるものであり、暗号としての安全性を保証する要因でもある。しかしその一方で、この「不可逆の運動」をどのようにビジュアル化し、観測という行為と紐付けて理解すればよいのかは、未だ十分に語られてこなかった。

本稿では、粘菌ちゃんPhysarum polycephalum)の這いまわりモデルとのアナロジーを通じて、ECCに内包される「プロセスは見えず、痕跡(最終地点)だけが観測される」という不可逆性を、生きた存在の運動として再定義する試みを行う。粘菌ちゃんは単細胞の生物でありながら、最短経路を形成したり迷路を“解く”かのような巧妙な挙動を示し、その動き方を事後的に完全復元することは困難である。そこには、「観測者が最終的なネットワークだけを眺めている」という構造があり、これはECCにおける「最終的な公開鍵だけが観測される」状況と響き合う。

さらに、本稿ではECCの可視化を意識しながら議論を進める。とりわけ、有限体上の楕円曲線を“ドーナツ(トーラス)”状にイメージし、( G )からスタートして(d×G)に至るまでの点ジャンプを図示することを想定する。粘菌ちゃんがドーナツ状の面を這いまわる可視的モデルを想像することで、暗号理論の計算過程をより身体的・感性的に捉えることができるのではないか、という問題意識である。以下、まずECCの数理構造と観測というキーワードを軸に不可逆性を整理し(第1章)、続いて粘菌の生物学的特徴と観測の難しさを確認する(第2章)。その後、両者を統合的に記述する「粘菌ちゃんトポス」の概念を提示し(第3章)、Amoeboid Encryptionという形で暗号を再定義する(第4章)。最後に、“可視化”と“不可視なプロセス”の詩的含意を論じ(第5章)、結論へと導く。


第1章:楕円曲線と非可逆性の構造──観測と痕跡

1.1 ECCの基礎と有限体──観測者に見えるもの、見えないもの

楕円曲線暗号(ECC)は、有限体上の楕円曲線

y^2 \equiv x^3 + ax + b \pmod{p}

を基盤とする暗号方式である。ここで「有限体」とは、演算(加法・乗法)が定義される元(要素)が有限個しかない代数構造であり、暗号では主に素数( p )を法とする「mod ( p )」の世界が採用される。この有限体上の楕円曲線に属する点(( x, y )の組)を扱う際、われわれは次のような操作を行う:

  • ある点( G )を選び、それを「基準点」として公開する。
  • 大きな整数( d )を秘密鍵として生成する。
  • ( P = d × G )という「点の倍加」演算で公開鍵( P )を得る。

点の倍加とは、幾何学的には「曲線上の2点を結ぶ直線がもう一度曲線を横切る点」を反転させて得る演算だが、計算機的には傾き( m )の導出やmod演算などを組み合わせる手続きである。観測者の立場から見えるのは「( G )と( P )」という2点だけであり、「( d )という内部ステップ」は見えない。いかに強力な計算機をもってしても、この( d )を逆算するのは「離散対数問題」として非常に難しい。

こうした構造は、観測論的に見るならば「公開された最終形(点( P ))のみが可視で、生成プロセス( d )は不可視」だということを示す。暗号が成立するのは、公開鍵( P )を観測しただけでは秘密鍵( d )がわからないからである。ここに既に「観測可能な痕跡」と「観測不可能なプロセス」という対照が存在する。

1.2 不可逆性と「ドーナツ上の点ジャンプ」の可視化

ECCの演算を理解する一助として、ドーナツ(トーラス)状の可視化を考えることがある。有限体の要素を2次元に並べ、端と端を繋げるとトーラスになる。このトーラス上で「基準点( G )」から出発し、何度もジャンプ(加法)を繰り返すことで「( d × G )」に到達する様子をアニメーションなどで描くと、見た目には粘菌がトーラス上をぐるぐると動き回るように見えるかもしれない。しかし、観測者がこの“アニメーション”を見られるのは「計算過程を直接覗き見できる場合」に限られる。一般的な暗号通信においては、完成後の点( P )が公開されるだけであり、その軌跡は暗号機の内部で一瞬通過して消えている。

ここに「痕跡しか残らない観測」の構図が見える。公開鍵( P )という最終到達点は観測可能だが、そこへ至る途中経路はすでに過ぎ去り、「不可逆の時間」とともに消滅している。離散対数問題の難しさは、この可視点だけでは元の経路数を復元できないという事実に起因する。図示するならば、トーラス上に無数の可能経路が存在しており、どれが本当に採用されたかを外部から断定できないため、安全性が担保される。

1.3 観測論的インパクト

ECCの安全性は計算量的な困難性に基づくが、「どこまで観測可能か?」という問いを立てると、暗号理論は哲学的・詩的含意を帯びてくる。観測者は暗号の外側にいて、公開鍵という“痕跡”のみを手がかりに推測を行うが、途中の計算ステップや秘密鍵そのものには直接アクセスできない。これはまさに、生物学や身体性を伴う運動において「最終的に見える形」と「不可視の過程」が分断される現象と相似形をなすのである。


第2章:粘菌ちゃんの運動モデル──「痕跡しか見えない」生物

2.1 Physarum polycephalumの基礎生物学

粘菌ちゃん(変形体)であるPhysarum polycephalumは、森林の落ち葉などの湿った環境で観察される単細胞生物である。栄養源を見つけると、そちらへ伸びていき、障害物があれば回避または迂回しながら成長する。迷路実験での結果が示すとおり、粘菌ちゃんは入口と出口に配置された餌を効率的につなぐ形でネットワークを形成し、まるで最短経路を“解いている”かのように見えることがある。

しかし、粘菌ちゃんは意識的に迷路を解いているわけではない。局所的な刺激(栄養量、光、湿度など)に応じた反応の積み重ねが、最終的には巧みな構造を生み出しているにすぎない。このとき観測者が目にするのは、「完成したネットワーク」あるいは「這いまわった痕跡」に限られる。実際に粘菌ちゃんがどう動き、どこでどれだけ時間を費やし、どんな速度変化をしたのかを詳細に復元するのはきわめて難しい。まさに「結果だけが観測され、プロセスは消え去る」存在形態なのだ。

2.2 観測と不可逆性

粘菌ちゃんの最終形態だけを見れば、それが迷路を巧みに攻略したようにも思える。しかし、そこには粘菌ちゃん独自の可逆性の薄い運動プロセスが潜んでいる。粘菌ちゃんは一度伸ばした枝を縮めることもあれば、方向転換することもあるが、そのタイミングや判断基準は内的な生理状態や局所環境に左右される。観測者がその全経路を追跡しようとすると、リアルタイムでビデオ撮影する以外の方法はない。そして、ビデオ記録がなければ、ネットワークだけを見ても「実際の移動順序」を正確にはわからないだろう。

これはECCの「( d × G )を実行する計算機内部のステップを外部からは見ることができない」構造と驚くほど似ている。粘菌ちゃんと同様に、「一歩一歩の累積プロセス」が外部観測からは遮断され、最終的な“到達形(ネットワークまたは公開鍵)”だけが観測可能である。したがって、粘菌もECCも、観測の外部に不可逆な運動を置くことで、そのプロセスを安全かつ神秘的に隠しているといえる。


第3章:粘菌ちゃんトポスの定義──運動と観測を繋ぐ概念

3.1 トポスとは何か

本稿では、粘菌ちゃんの運動とECCの加算構造を融合的に捉える枠組みとして、「粘菌ちゃんトポス(Amoeboid Topos)」という概念を仮説的に提示する。トポス(topos)は圏論における「集合の概念を一般化した論理空間」を意味するが、ここでは厳密な圏論的公理を深追いするのではなく、「不可逆な運動過程を内部に包含し、観測者には最終形しか見せない空間」というイメージとして導入する。

3.2 粘菌ちゃんトポスのオブジェクトと射

粘菌ちゃんトポスのオブジェクトは、
1. 楕円曲線上の点列(( G, 2G, 3G, dG )など)
2. 粘菌ちゃんが環境を這うことで形成するネットワーク構造や、その運動履歴
などとみなせる。これらのオブジェクト間を結ぶ射(morphism)は、「粘菌ちゃんが実際にどう移動したか」を示す写像であり、ECC側から見れば「点の加法や倍加を行うアルゴリズム」の対応物となる。

トポスには「真理値対象(subobject classifier)」が存在し、ある部分経路が実際に採用されたかどうかを“真”または“偽”で分類できると考える。ECCではアルゴリズム的に一意のステップ列が確定するが、外部観測者には多くの可能性が並列して見える。粘菌ちゃんでも外から見ると色々な経路の可能性が想定されるが、実際に菌体が通ったのは一つのルートであり、その全容は内部ロジックと時間的変化に依存している。

3.3 観測と内部論理

粘菌ちゃんトポスにおいて強調されるのは、「観測者にはオブジェクトの最終形のみが与えられる」という事実である。つまり、粘菌が這いまわった最終形態(ネットワーク)や( d × G )の点はオブジェクトとして外部に提示されるが、そこに至る射(プロセス)はトポスの内部に閉じている。この構造は、観測論的に言えば「外部が得られる情報は有限であり、その内部プロセスは直接には見えない」ことを表す。粘菌ちゃんトポスの射は内部的に確定しているが、外部に開示されない情報を保持しているのだ。


第4章:Amoeboid Encryptionとしての再定義──不可逆運動の詩学

4.1 鍵の再解釈:這いまわる暗号

ECCにおいて、秘密鍵( d )は大きな整数、公開鍵( P )は( d × G )という形で与えられる。Amoeboid Encryption(粘菌的暗号)という比喩的視点を導入すれば、秘密鍵( d )は「粘菌ちゃんの運動指令」に相当し、公開鍵( P )は「粘菌ちゃんがトーラス状の空間を這いまわった末に形作るネットワーク」の終着点にあたる。どのようなルートを通ったかは観測者に隠蔽され、痕跡としての最終形だけが観測可能となる。

ここで「觀測」の概念はクリティカルである。暗号の利用者に見えるのは、計算結果(公開鍵)だけであり、その内部プロセスへのアクセスは原理的にブロックされる。粘菌ちゃんも同様に、最終的に形成したネットワークを外部が観測できるのみで、各ステップの運動や収縮・伸長パターンを後から完全復元することは難しい。観測と不可視な運動という対比により、暗号の安全性や生物の創発性が立ち上がる。

4.2 ドーナツ上の粘菌ジャンプを図示する

実際のECCをより感性的に把握するために、「ドーナツ(トーラス)上で粘菌ちゃんがジャンプする図」を想定すると理解が深まるかもしれない。有限体の要素を縦軸・横軸に並べて端を繋げたトーラス面に、基準点( G )を配置し、「粘菌ちゃん」のイメージキャラクターをそこに載せる。粘菌ちゃんは“内部アルゴリズム”に従って何度もジャンプを繰り返し、最終的に( d × G )へ到達する。観測者が見えるのはゴール地点と、もし内部プロセスを可視化していれば“アニメーション”だが、実際の暗号利用シーンではアニメーション(計算過程)自体は公開されず、ゴールのみが差し出される。

この可視化は学習や理解の上で大きな助けになるだろう。同時に、粘菌ちゃんの動き自体をリアルタイムに記録しておかないと、その詳細は消失してしまうことを暗喩している。暗号計算においても「計算過程」は通常ログとしては公開せず、最終結果(署名や公開鍵など)だけが可視化される。そこに同じ観測論的構造があり、不可逆性を際立たせる要因となっている。

4.3 離散対数問題の“観測裏”としての自然化

Amoeboid Encryptionの立場では、離散対数問題が「粘菌ちゃんの歩数を逆算する難しさ」として再解釈される。観測者は最終地点(公開鍵)を知っているが、粘菌ちゃんがトーラスを何回ジャンプしてきたか(秘密鍵)はわからない。たとえ何らかの部分的観測があっても、巨大ビット長の暗号空間では全プロセスを再構築するのは実質不可能と考えられる。ここに“生物的運動を内部に秘めた暗号”という詩的理解が生まれる。


第5章:生成と詩学──観測・不可視・痕跡の交差

5.1 プロセスと観測の断絶

粘菌ちゃんとECCはいずれも「最終的な形(ネットワーク or 公開鍵)だけが観測者に提示され、そこに至るプロセスは不可視」という共通項をもつ。これは単に計算量の問題を超え、「観測論的な断絶」に関わる事態である。どのようなアルゴリズムや身体的運動があったのかは既に時間の彼方へと消え、「痕跡」だけが残される。詩的に言えば、完成した詩(公開鍵)の背後にある創作ノート(秘密鍵)は廃棄され、再現不能となるのだ。

5.2 実例:迷路粘菌と暗号プロトコル

具体的に例を挙げれば、迷路を探索する粘菌ちゃんが最終的な最短経路ネットワークを作る場面を想像するとよい。観測者は完成形のネットワークだけを見て、「なるほど、粘菌ちゃんはうまく最短経路を作ったのだな」と思う。しかし、実際には局所刺激の積み重ねであり、遠回りや試行錯誤が何度もあったかもしれない。その履歴は痕跡としては完全には残らない。ECCにおいても、外部からは公開鍵(到達点)しか見えず、その計算手順がどのようなアルゴリズム経路を通ったかは観測されない。たとえリバースエンジニアリングしようとしても、離散対数問題の困難性によって跳ね返される。

5.3 “観測不可能性”が生む詩的余韻

観測者にとっては、プロセスが不可視だからこそ生まれる想像の余地がある。暗号の世界では「安全性」と表現されるが、詩的視点からは「不可逆性と観測不可能性が織りなす美学」ともいえる。粘菌ちゃんの創り出すネットワークが生物としての動的軌跡を孕み、ECCの公開鍵が計算機のアルゴリズム内部で消費された膨大なステップを内包していることを思い描くとき、そこには妙なる詩情が漂う。われわれは痕跡を見ながら、その背後の運動を想像するしかない──この隔たりこそが、観測論的にも美学的にも豊かな領域を提供するのである。


終章:不可逆な世界における観測と痕跡の詩学

本稿では、楕円曲線暗号(ECC)の「( P = d × G )」という不可逆的な演算と、粘菌ちゃんが示す「這いまわりの末に形成されるネットワーク」という生物現象とを重ね合わせ、観測の問題を強調しつつ再考した。両者に共通するのは、「観測されるのは最終結果(痕跡)のみであり、プロセスそのものは外部には公開されない」という構図である。離散対数問題の困難性や粘菌ちゃんの非線形的な身体運動は、いずれも観測者には把握しきれない内部ロジックを抱え込む。そこに「安全性」と「生成の神秘」が同居している。

また、ドーナツ(トーラス)上に点ジャンプを図示するという発想により、ECCの抽象的計算を粘菌ちゃん的な運動に近づける可視化が提案される。粘菌ちゃんがドーナツ面を這うようにジャンプを繰り返す様子をアニメーション化すれば、暗号のプロセスを身体的に理解しやすくなるだろう。一方で、実際の暗号プロトコルで公開されるのは最終点(公開鍵)だけであり、観測者に過程は見えない。このギャップが、安全性と詩的余韻を同時に生み出している。

粘菌ちゃんトポスという概念は、不可逆な運動と観測の制限を内包する論理空間として提起された。これは、従来の暗号理論にはなかった生物的・詩的視点をもたらすものである。粘菌ちゃんにしろ暗号にしろ、「どのように動いたか」は時間の流れとともに消えてゆき、最終形だけが観測者の前に提示される。不可逆性こそが、そこに豊かな意味と美をもたらすのではないか。本稿が示唆するように、暗号理論を粘菌のような“生きた運動”とアナロジーで捉えることは、計算量理論や数理モデルを超えた新たな詩的地平を開く可能性を秘めている。

不可逆な世界では、観測者には常に「完成された痕跡」しか見えない。しかし、その背後に横たわる運動や跳躍に想像力をめぐらせることが、暗号や生命の本質を深く探究する鍵となる。粘菌ちゃんが森の中で形作る網目と、ECCがコンピュータ内部で生成する鍵──この両者を「観測によっては捉えきれない動きが形を残す現象」として結び合わせるとき、われわれの思考に新たな詩と驚きが立ち現れるだろう。生物学・数学・詩学のあわいに広がるこの風景こそが、Amoeboid Encryptionの真価であり、不可逆性の詩学を未来へ繋ぐ一歩なのだ。







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