イケメンDJ國分功一郎先生からスピノザの『エチカ』を学ぶ

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知的な眼鏡に弱い

周囲の人間に「好きな男性のタイプは?」と訊かれると、一瞬悩む。

本音を言うか。建前で済ますか。それはその人との関係性にもよるが、本音を言えば、私は國分功一郎が好きだ。

國分功一郎は、東京工業大学の教授で、専門は哲学。著書『中動態の世界』で小林秀雄賞を受賞。

だが、その真の姿はDJである。

『エチカ』が売れている

それはだが、その端整な外見から、最近はメディアへの露出も多い國分先生。

昨年の12月に出演したNHK Eテレの番組「100分de名著」は、そのわかりやすい語り口から、巷で評判になった。

この番組で國分先生が担当したのは、『エチカ』

エチカ(上)改版 倫理学 (岩波文庫) [ バルーフ・ド・スピノザ ]

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國分先生のも功を奏して、一般の書店でも『エチカ』の売れ行きが大きく伸びている。だが、私にとって『エチカ』が本屋で売れる。というのは、とても信じられない現象だった。

スピノザ観が変わる

『エチカ』は、17世紀の哲学者スピノザの代表的な著書。正式名称は『エチカ 幾何学的秩序に従って論証された』。「幾何学的」という言葉から伺える通り、この本のスタイルは、他の哲学書とは一線を画する。

はっきり言えば、何が書いてあるのかよくわからない

私は学生時代に、この本を開いてみたことがあるのだが、1ページ目から全く意味が理解できなかった。でも、國分先生のおかげで、私のスピノザ観は170度くらい変化した。

スピノザエチカ 「自由」に生きるとは何か (NHKテキスト 100分de名著 2018年12月) [ 國分功一郎 ]

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倫理学とは

エチカ(ethica)は倫理学を意味するラテン語だが、そもそも倫理学とは何か。

エチカの語源であるエートス(ethos)は、「慣れ親しんだ場所」「動物の住処」などという意味。だから、倫理学は、自分たちが今ここで、どのようにして生きていくか、を考える学問だ。

スピノザは、オランダ・アムステルダムのユダヤ教の家系に生まれた。だが、ユダヤ教の信仰に疑問を持ち、共同体から追放される。彼は時に命を狙われながらも、その生涯をかけて、自身の哲学を追求した。

スピノザは、上から降りてくる「道徳」にただ付き随うのではなく、自分の手で「倫理」を切り拓いた人だ。

本質はコナトゥス

スピノザの哲学は非常に革新的だが、その中でも興味深いのが、コナトゥス(conatus)という概念へのスタンスだ。

コナトゥスは、個体をいまある状態に維持しようとして働く力のことを指します。医学や生理学で言う恒常性(ホメオスタシス)の原理に近いと考えればよいでしょう。(NHK 100分de名著 スピノザ 『エチカ』 より)

スピノザによれば、このコナトゥスが、物の本質であると言う。さて、どういう意味だろうか。

古代ギリシアの時代から、多くの哲学者は、物の本質は、その「形」にあると捉えていた。これをエイドス(eidos)と呼ぶ。これは、私たちの日常的な考え方に似ている。

ただ、物の形が本質だと考えてしまうと、「あなたは男性だからこの仕事をやってね」とか「私はもう老人だから、これは無理」みたいな判断が生まれやすい。

だが、人間は、周囲の環境から、絶えず何らかの刺激を受けている。そして、自らを変化させる。これを変状(affectio)と呼ぶ。

生きていればネガティブな事も起こるけれど、私たちには、その状況から何とか抜け出そうとするが備わっている。そして、力の発揮の仕方は、さまざまだ。同じ人でも、タイミングが異なれば、全く違う反応ができることもある。

この力=欲望は、人間を衝き動かし、生き方を変える。その姿は、私たちの「形」を見るだけでは、わからない。

どのような性質の力を持った人が、どのような場所、どのような環境に生きているのか。それを具体的に考えた時にはじめて活動能力を高める組み合わせを探し当てることができる。ですから、本質をコナトゥスとしてとらえることは、私たちの生き方そのものと関わってくる、ものの見方の転換なのです。(NHK 100分de名著 スピノザ 『エチカ』 より)

國分先生は、「頭の中でスピノザ哲学を作動させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない」と述べる。『エチカ』は、私たちの心をアップデートしてくれる書物なのだ。

個体は完全である

スピノザは、それぞれの個体は完全であると言う。何かが「不完全」であるように見えるのは、私たちが「これはこうあるべき」という固定観念を抱えているからだ。

私はこの考え方に、とても救われた。

自分自身を他のゲイと比較してしまう時、私は心が辛くなる。皆、日焼けした肌で、体もちゃんと鍛えているし、夜はバーで、友達と活発に交流を楽しんでいる。

正直、私はゲイの中でも、マイノリティ側の人間だ。筋肉も全然付いていないし、お酒もろくに呑めないし、大人数で遊ぶのも得意ではない。皆と同じように生きられない自分が苦しかった。

無限の彼方に見える蜃気楼のような理想。それを目指しながら歩き続けて、倒れたこともある。でも、今は時々休みながら、なんとか生きてゆくことができる。

流行の影に

現代の日本で、多くの人々がスピノザに惹かれるのは、彼の哲学がいつまでもアクチュアルなためだろう。この流行が映し出す影に、もしかしたら、私たちの生きづらさが視えるのかもしれない。

私もまだ、國分先生に支えられながら、『エチカ』を少しずつ読み進めている。スピノザは、未来に私のような人間が現れることを、予想していただろうか。







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