「轟さん」問題
先日、松岡宗嗣さんのツイートを発端として、ロコンドのPR動画に批判が向けられるという事態が起きた。
宮迫博之さん扮する「轟さん」という2000年代のキャラクターが”復活”しているそう。女性嫌いで男性が好きという”趣向”。構図が完全に保毛尾田保毛男と同じ。同性愛をカリカチュアライズ(戯画化)し嘲笑する。いつまでこういうの続くんだろうな。しかも企業PR動画か…。https://t.co/DG2xFLzKNA pic.twitter.com/aoxWy3bfG5
— 松岡宗嗣 (@ssimtok) July 23, 2020
問題となったのは、以下の動画。この中で、お笑い芸人の宮迫博之さんが、彼の持ちネタである「轟さん」というキャラクターに扮している。
今回、松岡さんから、この「轟さん」が、ゲイを戯画化しているのではないかという指摘があった。
詳細については、以下のスレッドにまとめられているので、この記事では省略するが、以前に沸き起こった「保毛尾田保毛男」問題を想起させる部分がある。
異性愛者の石橋さん扮する保毛尾田保毛男は、青髭と頬をピンクに染め同性愛者をカリカチュアライズしている一方、自身を同性愛者とは明確にはしておらず”あくまでも噂なの”とほのめかす表現をしていました。同様に異性愛者の宮迫さん扮する轟さんも、タンクトップにタイツ、黒く太い特徴的なメイクを→ https://t.co/yjUWRWmR2u
— 松岡宗嗣 (@ssimtok) July 23, 2020
田中社長の反論
今回は、松岡さんもただ感情的に批判するのではなく、問題の構造を冷静に分析している。そのため、いわゆる「お気持ち」の押し付けという揶揄は、的を射ていない。
松岡さんが呟かなかったにしろ、遅かれ早かれ、誰かが発見した問題だと思う。
ただ、この指摘に対して、ロコンドの田中裕輔社長が、Twitterで、大変苛烈な調子で反論した(該当ツイートはすでに削除済み)。
また、ロコンドを応援するクラスタの一部も、田中社長の意見に同調し、動画を問題視する当事者に対して、批判のリプライを重ねる、といった現象が起きた。
「ロコンド」の成長物語
ロコンドは、一風変わったスタイルで、独自の成長を遂げてきた企業である。
人気YouTuberのヒカルとコラボレーションしたブランド「リザード(ReZard)」で驚異的な売上を達成し、株価を急速に上昇させるなど、従来の手法とは異なる形でビジネスを拡大してきた。
また、田中社長は、「闇営業」騒動で吉本興業との契約を解除された宮迫博之さんを積極的に応援し、自社のCMキャラクターに登用するなど、「業界の風雲児」的な存在として、知名度を獲得している。
倒産間近だったロコンドを、血を吐くような努力で立て直した田中社長の物語は印象的で、彼に惹かれるファンも多い。
ファンにとって、田中社長は、「既存の社会を改革する」存在として映っている。たとえ、そのやり方が一部から反発を買うものであっても、それは重々承知のうえ、ということ。
そのため、今回の議論は、双方の主張がうまく噛み合わないまま終結した印象がある。
クィアという視点
田中社長の意見を聞いてみると、「LGBTを腫れ物扱いするような風潮」に異を唱えている様子。
自身もアメリカの滞在経験があり、当事者の友人もいるということで、今回の問題に対しては、確固たる主張があるように見える。
ただ、すでに複数の当事者から指摘があったように、「自分にはLGBTの友人がいるので、LGBTの問題は理解している」というのは、いわゆる「I have black friends論法」そのものに当たる。この事実を論拠として、主張を正当化するのは難しい。
しかしながら、ここではいったん、田中社長の考えを、できるだけ好意的に解釈してみることにする。
おそらく、田中社長は、轟さんのようなキャラクターのパフォーマンスを通じて、人々の差別意識を、パフォーマティブに再構築したいと願っているのではないかと思われる。
「おっぱいが好きなノンケ」も、「筋肉が好きな轟さん」も、どちらも平等に扱えばよい、という論理である。
このような考え方は、一見、クィア理論のそれに近いようにも思える。クィア理論は、「異性愛/同性愛」のような境界線自体を批判的に捉えて、アイデンティティを固定化することを避ける。
ただ、ひとつ忘れてはならないのは、クィアという視点は、現実世界に生きる人間の身体を離れることができない、ということだ。
ロコンドのケースでは、田中社長も宮迫さんも、ストレート男性であって、ゲイ男性ではない。彼らは、当事者が経験する「痛み」(これは比喩ではない)を共有していない。
田中社長は、この事実から目を逸らしつつ、「神の視点」を密かに持ち込んだうえで、批判を無効化しようとしているように、私には思えた。
笑い物よりも腫れ物
また、これは今回の問題に限らないが、「LGBTを腫れ物扱いするのは良くない」という論調には、一種の危険が付きまとう。
当事者以外の人間が、当事者を笑いの対象とすることは、暴力へと容易に変化しうる。
私は以前、あるゲイ男性から発せられた、「笑い物になるくらいなら腫れ物になるほうがましだ」という一言を、はっきりと記憶している。
世界には、LGBTだからという理由だけで殺害される人々がいる。そして、自死を選ぶ人々もいる。
その事実だけは、忘れてはいけない。
ベクトルをずらすこと
今回の「轟さん」の動画では、ゲイを性的な存在としてカリカチュアライズしていることに、異論が寄せられた。
もし、動画に登場したキャラクターが、女性に対して同じような言動を取っていたら、人気を博しただろうか。
田中社長がロコンドを今後も成長させたいと願っているのなら、より深いレベルで、ジェンダーやセクシュアリティの問題について、考えを巡らせてほしい。
本件これで最後にしますが、物言いが偉そうだったのはゴメンなさい。
轟さんが不快な人がいる事も理解しました。
でも今でも轟さんは差別や偏見を助長するものではないと思うしYouTubeに対して誰にとっても快適な内容を求めるべきかは疑問です。
これからも色々考えます。
https://t.co/24TH3D6bRj— Yusuke Tanaka【ロコンド】👠 (@Yusuke_Tanaka) July 25, 2020
偶然にも、田中社長は私と同い年である。でも、私と違って、彼には、世界を変えるだけの十分な力があると思う。
私は、彼を何か悪魔のような存在だとは感じていない。
ただ、その力のベクトルを、少しだけずらすこと。私は、それを期待している。
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