箱根と熱海の間にある理想郷、湯河原を想う【奥湯河原 温泉旅館「加満田」】

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Go Toトラベル?

いま、日本は「Go Toトラベルキャンペーン」がもたらした大波に揺られている。

観光庁が打ち出したこのキャンペーン。詳細については、私がいまさら説明するまでもないと思う。

新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない中、Go Toトラベルは、予定を前倒しして実施され、多くの混乱を巻き起こしている。

このキャンペーンに、重大な懸念があることには同意する。そして、その一方で、未曾有の問題に苦しむ観光業界に対して、なんらかの救済措置が必要だ、という意見にも頷ける。

私は、メディアでの議論を目にしながら、自分にできることはないかと考えていた。

そして、しばらくして、結局辿り着いたのが、自身の旅行記をブログで書くという、非常にシンプルな行為だった。

私がこの文章を書いたところで、世間には何のインパクトもないとも思うが、それでも、何もしないよりはいいかもしれない。

なので、気軽な調子で、今年の初めに経験した旅について、綴ろうと思う。

新年の挨拶(半年遅れ)

昨年の年末は、ありとあらゆる点で気力を消耗する出来事が重なっていた。

また、北国生まれの私は、冬季うつ病にも悩まされ、毎日、ほぼほぼ無気力、極限をとって、みたいな点で生きて/死んでいたのである。

このブログで、新年の挨拶もできず、ひたすら独りで、ぼうっとする時間が続いていた。

でも、さすがにこのままではいけないと思った私は、重い腰を上げて、一人旅に出かけることになる。

すべては湯煙の向こうに

いろいろと検討を重ねた結果、今回の旅の目的地は「湯河原」に決定した。

なぜ湯河原を選んだかというと、まず、私がこれまで行ったことがない地だったから。

私は恥ずかしながら、インターネットで情報を検索する前は、湯河原の位置についてさえ、正確に思い出せないという体たらく。

「うーん、なんとなく伊豆?的な?感じ?」のごとく、すべてが半疑問形で表現せざるを得ないようなレベルの知識しか持ち合わせていなかった。

念のため、ここで復習するが、湯河原は神奈川県にあり、大体、箱根と熱海の間くらいに位置する温泉地である。

湯河原はここ。

この箱根と熱海の間というのが、人をぼんやりさせるポイントであると思われる。

これらの2大有名温泉スポットが放つ光があまりにも強く、湯河原へのイメージを湯煙の向こうに霞ませるはたらきを持っている(気がする)。

通勤感覚で行ける観光地

だが、湯河原の、そのような人知れない隠れ里感も、陰キャの私には、むしろちょうど良いように思われた。

せっかくの新年早々の一人旅、行き交う人々は少なければ少ないほど気楽だ。

湯河原は、JR東日本の上野東京ラインに乗っていればそのまま辿り着くという、ほぼ通勤感覚で行ける観光地である。

旅行気分を味わいたい場合、グリーン券を別途買い求めることもできるが、普通車両でも、横浜から先は、ほぼ座れる。

この辺りの気楽さも、私には好ましい。

夫婦旅行などであれば、「踊り子号」や「ロマンスカー」といった列車に乗るのが良いだろう。

しかしながら、私の場合、ロマンスカーの切符を物理的には買えても、車両に乗ることは倫理的に不可能だと思われる。


理想郷で下車する旅人

JR湯河原駅で降りると、バス・タクシー乗り場が、駅前にこれ以上ないくらいわかりやすく位置している。

町内は、バスかタクシーのどちらかで移動するが、今回私が選んだのは、奥湯河原行きの箱根登山バス

乗り方は、とても簡単。バス前方の入口から乗車、降車する。SuicaなどのIC乗車券も使えるので手間がかからず楽。

日中は10分から15分置きくらいで運行しており、町民の方々も、普段使いで利用している模様。

バスに揺られる道中、非常に気になったのが理想郷という、そのものずばりな名称のバス停。

車掌さんが「まもなくー、理想郷、理想郷ですー」とアナウンスし、乗客が下車してゆく。

その全く日常的ながら、非日常的な光景に、私はしばしの間、魅せられた。

デイリーポータルZのこの記事(「理想郷が湯河原にもあった」)を読んでも、「理想郷」という名称の由来はわからない。

だが、この素敵な名称を変更する理由は一切無いので、どうか今後も、永久に保存していただきたい。

着いて早々に特定される

そしてバスが着いた終点が、奥湯河原。私の目的地である。

設置された看板に沿って細い道を歩いて行くと、木々に囲まれた風景が続いてゆく。

自然が豊かな奥湯河原。周りには誰もいない。

私が無邪気にiPhoneで写真をばしゃばしゃ撮っていると、道の向こう側からおじさまが現れ、「ヤシオさま(仮名)ですか?」と声を掛けられた。

まだ名乗っていないのに、なぜ私の名前を……。と一瞬訝しげに思ったが、この時期に男子一人で予約する客は、私以外、確かにいないであろう。

先方からしても、警戒心マックスな感じでお出迎えいただいたに違いない(そんなことはありません)。

「作家の缶詰」発祥の地

私が今回泊まることにしたのは、加満田(かまた)。昭和14年創業の、大変歴史ある日本旅館。

無事到着した「加満田」

なぜ私がこちらを選んだかというと、この加満田が、多くの文人墨客に愛された、由緒正しい宿だったためである。

ここを常宿とした作家は数多い。その中でも私が目を奪われたのが、文芸批評家・小林秀雄をめぐるエピソード。

なんでも、あの宇野千代が小林秀雄を加満田に泊まらせて執筆させたことから、「作家の缶詰」発祥の地と呼ばれているそうである。

歴史に疎い私でも、宇野千代から、ここに泊まれと言われたら、泊まらざるをえない迫力があったことは想像できる。

奥湯河原は周りに何も無い土地なので、いったん着いたが最後、まず逃げられない。宇野千代の選択眼は見事すぎる。

館内には文豪とのエピソードがたくさん。

わんだふる

受付を済ませ、仲居さんに通された客室は、玄関からほど近い和室。

落ち着いた和室。まさに日本の温泉旅館。

着いて部屋を見渡してみてまず抱いた感想は、Wonderful!

なぜ英語なのかはわからないが、自分の中に住むドナルド・キーンが一瞬、私の精神を乗っ取ったのかもしれない。

客室は、一人で過ごすには十分すぎる広さ(というか、通常は2名で1室のお部屋なので当然)。

備え付けの家具は、やや歴史を感じさせる(婉曲的な表現)が、きちんと掃除が行き届いている。

洗面所やトイレはリフォームされており、水回りの清潔感も十分。旅行サイトの口コミで、「トイレがちょっと……」という感想もあったので、その辺りは覚悟を決めて挑んだものの、自分には何の問題も感じられなかった。

綺麗な水回り。問題なし。

あと、知ってはいたが驚いたのが、客室内に設置された内風呂

蛇口を捻ると、湯河原温泉の源泉がどばどば溢れ出てくるのだ。

温泉がどばどば溢れ出る内風呂。

何という至高の贅沢。

源泉掛け流しと循環

と、あたかも温泉通のような口ぶりで評してはみたものの、私は正直言って、「源泉掛け流し」の正確な意味を知らなかった。

そのため、温泉に関する情報サイトを検索。

調査の結果、「源泉掛け流し」は通常、「循環」というタイプの温泉と比較されるようだ。

種類 説明
源泉掛け流し 源泉から湧き出たお湯をそのまま使う。1回使用したお湯は排出する。
循環 お湯を循環させて濾過し、リサイクルして使う。

同じ湯河原温泉でも、下流の方に位置する旅館は、温度の調節のため加水をする場合もあるそう。

それに対し、奥湯河原にある加満田は、源泉掛け流し。温度の調節はしているが、加水は一切していない。

どうぞお好きなだけ温泉の成分を体に吸収してください。と言わんばかりのおおらかさである。

たまご肌を手に入れる

仲居さんに施設の利用方法をご案内いただいた後は、さっそく大浴場&露天風呂にレッツゴー(昭和)。

加満田には大浴場が2箇所、露天風呂が2箇所ある。

大浴場の方は時間制で男湯と女湯が切り替わる仕組みになっている。露天風呂の方は、空いていればどうぞお使いください。という自由なシステム。

私は、はやる気持ちを抑えて、とりあえず大浴場のほうに向かった。

時期が時期なためか、私の他にいた客は一人だけで、ゆったりとした時間を過ごす。

温泉の感触は、「柔らかい」という印象。

温泉の成分としては、「カルシウム硫酸塩泉」に当たり、美肌効果があるそうだ。あの小林秀雄も、ここでたまご肌を手に入れたに違いない。

開放感の虜に

大浴場でとりあえず旅の汗を流した後は、露天風呂へと続けて移動。

露天風呂は「ほたるの湯」「もみじの湯」に分かれる。どちらも奥湯河原の自然に囲まれて、リラックスした時間を過ごすことができる。

幸い、私が訪れた時間帯はどちらも空いていたので、両方利用してみた。

特に「ほたるの湯」の方が格別で、なんとなく「ヤッホー」と無性に叫びたくなるような(いけません)開放感。

小一時間ほど湯船に浸かると、体の奥から温まるのを感じた。普通のお風呂と違うのは、やはりこの部分。温泉の成分が効くのか、外は冷えるのに、湯冷めがしにくい

湯河原みかんの誘惑

浴場の脱衣所には、「湯河原みかん」が、サービスで提供されている。

湯河原みかん。やめられないとまらない。

湯河原は、みかんの栽培が盛んな土地で、昼夜の寒暖差を利用して育てたみかんは、甘味が増して良い出来となるそうだ。

「おひとつどうぞ」という言葉が添えられた籠から、ひとつ取り出して食べてみると、これが本当に美味しい。柑橘の風味が凝縮された果汁が、温泉で火照った体を潤してくれる。

私は当日、合計3回ほど温泉に浸かったのだが、正直に告白すると、この湯河原みかんを5個も頂いている。

私の行為はもはや営業妨害であり、加満田さんには非常に申し訳ないという、改悛の気持ちで一杯である。


小林秀雄と私

加満田は文豪に愛された宿ということで、館内には「談話室 好日」という部屋がある。

談話室「好日」。私と談話する人は誰も現れなかった。

ここには、加満田に縁の深い作家の書籍が、多数並んでいる。

あの『小林秀雄全集』も、全巻でないものの、きちんと置かれていた。

本は自由に読みたい放題。

湯上がりの私は、しばしの間、小林秀雄が残した文章を読んでいた。

ここで最も私の記憶に残ったのは、「信ずることと知ること」という作品。

小林秀雄全作品(26) 信ずることと知ること [ 小林秀雄(文芸評論家) ]
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これは、彼が鹿児島県の霧島で行った講演を元にしたもの。

ベルクソンを引きながら、超自然的な現象について語り、聴く者の心を震わせてゆく、独特の律動。

静謐な室内で、その文章を再生する私は、いまここに居ないはずの彼と向き合っているような感覚に襲われた。

小林秀雄の記念写真。

あと、この部屋にはノートパソコンが1台置かれており、インターネットを自由に利用できるようになっている。

しかしながら、OSがWindows 7という古式ゆかしい仕様のため、セキュリティ的な面を気にされる方は、遠慮しておいたほうがよいかもしれない。

自己責任でご利用ください。

お櫃が山盛り

そうこうしている間に日も落ちて、夕食の時間となる。

夕食は部屋に運ばれてくるので、まさしく「上げ膳据え膳」な状態。

用意された料理は、地元の魚介類や野菜がふんだんに利用されており、見た目通りの美味しさ。

新鮮なお造り。

そして、私にとって幸いだったのが、女将さんが私を気遣ってくれて、いくつかの皿を一緒に持ってきていただいたこと。

いつも懐石料理を食す際には、「あー、この焼き魚と白米を同時に味わえたらいいのに……」などと、内心思っていた。

女将さんは、そんな私の庶民的な感覚を瞬時に察知されたのだろうか。

なんともありがたい限りである。おかげで、まるで自宅にいるような感覚で、すべての料理を味わい尽くすことができた。

夢の共演。

ただ、今回担当いただいた仲居さんが、なぜか私のことを若者だと誤解しており、お櫃に3人前分くらいのご飯が盛られていた。

なんというか、お正月の実家に戻ってきたような気分であった。

「お若いからこれくらい食べるかと思って……」ありがとうございます……。

夜の帳が下りる

夕食を終えた後は、お布団の用意がされる。

そして、私はその後も、大浴場→露天風呂→内風呂という贅沢コースを存分に堪能し、同時に湯河原みかんを食い尽くすという自堕落に耽っていたのだった。

これが文豪であれば、夜の帳が下りた湯河原の闇に目を遣りながら、遅々として進まない私小説の台詞の端々に苦悶する場面である。

が、あいにく、私は文豪ではないため、柔らかなお布団に包まれて、すやすやと睡りに落ちた。

温泉旅館的なところマジック

翌日、目覚めると、そこには穏やかな朝の陽射しが畳の部屋を包み込む、なんとも趣の深い光景があった。

一瞬、ここがどこだか判らなくなるが、そう、私はいま、奥湯河原にいるのだ。最強である。

一夜置いて、温くなった内風呂に浸かりながら、身を整えていると、心の空隙が満たされるような感触を覚えた。

ああ、帰りたくない。そんな、我儘な子供のように身悶える私をよそに、仲居さんは容赦なくお布団を上げにやってくる。

そう、朝ご飯の時間である。

加満田で振る舞われる朝食は、「THE 温泉旅館の朝食」と定冠詞を付けて紹介したくなるほど、安心安全安定な完成度。

このまま時間が止まればいいのに。

決して華美な食事ではないが、一品一品が丁寧に造られているので、無意識のうちに、箸が進んでしまう。

私は普段、朝食を摂らない生活を送っている。起床後にどうしても何かを口にしたい気分にならないのだ。

だが、そんな私の食習慣を、唯一変えることができるのが、温泉旅館である。胃の中へ、無限に食物が投下されてゆく。

私はこの現象を「温泉旅館的なところマジック」と名付けているが、どなたか科学的に原因を解明してほしい。

脱マイクロマネジメント宣言

そして、とうとうチェックアウト。

いつもこの時間がやってくると、どこか心寂しくなる。

けれども、加満田には底知れない実家感のようなものがあり、会計を済ませるうちに、「自分はいつかまたこの場所に帰ってくるのだ」という、妙な確信が舞い降りてきた。

振り返ってみると、加満田は特に、料理の食材が豪勢とか、館内の設備が豪華とか、そのようなハード的に主だった特長があるわけではない。

しかし、宿の方たちが客人を適当に放っておいてくれる、脱マイクロマネジメントな応対方針が、私には合っていたように思う。

今回、私は一泊しかしなかったが、長い時間を過ごしていたとしても、自宅のように落ち着けるのではないだろうか。

自分が小林秀雄のように缶詰にされる日がやってくるとは思わないが、彼がこの宿を愛した理由は、理解できた。

さようなら、奥湯河原。さようなら、加満田。またいつか逢う日まで。

私の実家(暫定)。

国の光を観る

さて、私の奥湯河原への旅日記はいかがだっただろうか。

実用的に役に立つ内容は何も含まれていなかったと思うが、予定していた旅へ行けなくなった方々にとって、一時の気休めにでもなったのなら幸いである。

ちなみに、これは余談だが、「観光」という単語は、中国の古典『易経』から来ていることをご存じだろうか。

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具体的には、易の20番目の卦である「風地観」の中の、「国の光を観る」という語句に由来している。

易占では、「風地観」の卦が出た時には、いったん物事を落ち着いて考えるべきだとされる。

私たちの、旅に対する感情は、いま、大きく揺らいでいる。

それでも、『易経』は、そこに、必ず変化が訪れることを教えてくれる。

それまでの間、私は、私にできることを、一つずつ実行したいと思う。







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