神話から学ぶ
文化人類学者のレヴィ=ストロースは、自身の著書『神話論理』で、神話の中の食物に「生のもの」と「火を通したもの」、「新鮮なもの」と「腐ったもの」などの二項対立があることを見出した。
だが、38歳独身ゲイの食生活にとって必要なのは、「凍ったもの」と「乾いたもの」である。
自炊が苦手
という、無意味な引用から書き出したこの記事だが、私は自炊が苦手だ。
「セブンイレブンが私のホメオスタシスを維持している」で書いた通り、基本的な栄養素は、セブンイレブンから摂取している。
だが、そんな私でも、年に数回は、料理をしたくなる時がある。これが厄介なのだ。
若い頃は、その欲望の持続性の無さを知らずに、スーパーでさまざまな野菜、肉、魚を買い出し、その度に使い切れない材料が冷蔵庫で朽ち果てる。という体験を繰り返した。端的に、もったいない。
だが、私はこれらの失敗から、自分に合った自炊の仕方をいつしか身に着けるようになる。
この記事の内容の普遍性は一切保証しないが、あくまでも個人的なメソッドとして、共有したい。
「腐らない」が第一条件
私のようなモノグサな人間にとって、食物に求める第一条件は腐敗しないことである。これは重要なポイントだ。
葉物野菜などはもってのほかだが、卵や納豆も、腐るときは腐る。
なぜか世間で販売されている食品は、一人暮らしの人間には絶妙に余る量で販売されている。納豆1個が3パックなのは、アプリオリな真理である。
予期せぬ残業が続くなどの理由で自炊ができなくなると、余った分は使い切れなくなる。ので捨てる。もったいない。
だが、レヴィ=ストロースが説いた通り、「腐ったもの」の対立項は「新鮮なもの」である。腐敗を防ぐには、新鮮なものを排除するのが良い。
冷凍食品と乾物
ゆえに、私が購入する食品は、冷凍食品か乾物である。このように割り切るようになってから、私の精神は非常に楽になった。
もはや、芽の生えかけた玉ねぎの処遇について仕事中に思い悩むこともない。いや、それほどまでに放置する私が、圧倒的に悪いのだが。
以降、私が愛する冷凍食品と乾物を紹介する。
冷凍うどんと冷凍パスタ
冷凍食品というと、「チャーハン」や「ミートソーススパゲッティ」のようなものを思い浮かべるかもしれないが、それらは概して飽きやすい。素の状態であれば、色々なアレンジが効いて楽しめる。
私は鍋でお湯を沸かすのすら億劫なので、パスタも冷凍である。電子レンジで茹でたパスタはおいしくないが、冷凍は最高だ。
和風パスタソース
和風パスタソースは、パスタに和えてもうどんに和えても良い。特に日本製粉から販売されている「和パスタ」シリーズは、複数の味が販売されているので、延々と飽きずに楽しめる。
塩昆布
塩昆布は、何にでも合う汎用兵器。
なにかが物足りない時に、塩昆布を混ぜるだけで、大抵の食べ物は美味しくなる。尊い。
たまごスープ
盛岡名物のじゃじゃ麺は、麺を食べ終わった後の皿にお湯を入れ、チータンというスープを作る。体に染み入る味である。
それと同様に、パスタかうどんを食べ終わったお皿で、フリーズドライのたまごスープを作ると絶品である。
ささやかな幸福
一人暮らしの食事風景は、あまり人に見せられた物ではない。
だが、インスタ映えさえ気にしなければ、私はささやかな幸福を手に入れることができるのだ。
これでいいのか。という自問はあるが、とりあえず、これでいいのである。
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