花のみちは危険がいっぱい
さて、私は宝塚歌劇団が好きな人間である。
こう告白すると、一般人からたまに、このような返事をされる。
「まあ、とても素敵ですね。私も一度は観てみたいですー」
本当は全く興味がないが、義理で「一度は観てみたい」と言う。だが、宝塚ファンは、義理を義理と捉えないので注意が必要だ。
すかさず、「じゃあ、いつが空いてます?」と追い込みをかけ、相手の逃げ道を失くしてゆく。全く興味がないのであれば、正直に答えたほうが身のためである。
エヴァリスト・ガロア
宝塚歌劇を長年観ていると、公演の演目になりそうなドラマティックな人生を、自主的に探す癖がつく。そして、勝手に脚本を想い描き、香盤表まで作る。
これは危機的なレベルだが、周囲からは物理的なダメージが見えないのが問題である。
そんな危険な私が最近推している歴史上の人物がいる。その名はエヴァリスト・ガロアである。
いつみても波瀾万丈
エヴァリスト・ガロア(Évariste Galois)は、1811年、フランスはパリ郊外の街、ブール・ラ・レーヌで生まれた。このフランス生まれという時点で、すでに宝塚的にはポイントが高い。
彼は数学者であり、「5次以上の方程式は代数的に解けない」ことを発見し、現代数学に決定的な影響を与えた。
正直言って、ここはスルーを推奨するが、真面目に学習したい方には、以下の書籍がおすすめである。頑張って頂を踏んでほしい。
一般的に数学者というと、波瀾万丈な人生とは無縁。というイメージを抱きがちだ。
だが、ガロアは数学者であると同時に革命家でもあった。僅か二十歳という若さで夭折した彼の人生。
この記事では、彼の生涯で宝塚的に推せるポイントを、重点的に紹介する。
クラウドがない時代
ガロアには数学に対する天賦の才能があったが、数学者としては恵まれない人生を送った。
ガロアは17歳の若さで素数次方程式を代数的に解く方法を発見し、その研究論文をオーギュスタン=ルイ・コーシーに預けフランス学士院に提出するように頼んだが、実際には提出されなかった。1971年に数学史家ルネ・タトンが発見した書簡によれば、コーシーはガロアに面会し、その論文を1830年1月18日の学士院会合の場で発表すると約束しておきながら、その日は体調不良により欠席し、それ以降の会合でもガロアに言及する事はなく、結果的にガロアの論文は紛失された。(ウィキペディアより)
彼の書いた論文は、ことごとく紛失する。ガロアは、修正した論文を、フランス学士院に再度提出するが、これもまた、運命の悪戯か、どこかに消えてしまう。
この時代にDropboxがあれば、ガロアの人生は大きく変わっていたのかもしれない。
不運に苛まれた彼は、周囲の人間との軋轢を抱えながら、しだいに共和主義に傾倒し、革命家としての道を歩んでいくことになる。
第1幕のクライマックス
政治活動に没頭するガロアは、とある事件により逮捕される。
7月14日、ガロアは法学の学生で同じ「民衆の友の会」のヴァンサン・デュシャートレと共に、国民軍の制服と以前王の命を脅かしたナイフを着用してパリ市内を行進し、ポン・ヌフ橋上で逮捕された。12月3日に有罪が確定し、デュシャートレは禁固3ヵ月、ガロアは禁固6ヵ月の刑を宣告された。(ウィキペディアより)
この場面は、画が描けるレベルで宝塚向きである。第1幕のクライマックスにいかがだろうか。
僕にはもう時間がない
投獄されたガロアは、のちに、ある女性への失恋を経験する。そして、この女性を巡って、他の男から決闘を申し込まれる。トップ娘役と2番手の出番だ。
この決闘の前に、ガロアは大急ぎで友人に手紙を出している。
ガロアの遺書となった友人宛の手紙には、後の数学者たちにとって永年の研究対象となる理論に対する着想が「僕にはもう時間がない」 (je n’ai pas le temps) という言葉と共に書き綴られている。(ウィキペディアより)
なんという切なさ。トップスターの人生の儚さを、ここまで的確に表した言葉があっただろうか。劇場にいるファンのすすり泣きが聞こえてくる。
ありったけの勇気
ガロアはこの決闘で負った傷が元になり、命を落としてしまう。
そして30日早朝、パリ近郊ジャンティーユ地区グラシエールの沼の付近で決闘は行われた。その結果ガロアは負傷し、その場で放置され、午前9時になって近くの農夫によってコシャン病院に運ばれた。ガロアが牧師の立会いを拒否した後しばらくして弟アルフレッドが病院に駆けつけた。弟の涙ぐむ姿をみて、ガロアはこう言ったという。
Ne pleure pas, j’ai besoin de tout mon courage pour mourir à vingt ans!
泣かないでくれ。二十歳で死ぬのには、ありったけの勇気が要るのだから!それが最後の言葉となり、夕方には腹膜炎を起こし、31日午前10時に息を引き取った。(ウィキペディアより)
ここはもう、トップスターが死の間際で1曲歌う場面だろう。そして、キャスト全員の涙と共に幕が下りた後、ラインダンスの時間がやってくる。
礼真琴が適任
さて、このガロアの人生を舞台化するとして、どの組が最適かを、さらに踏み込んで考えてみたい。
私から見て、ガロアを演じられるのは、星組の礼真琴を措いて他にいない。礼は現在星組の2番手だが、将来的にトップスターの就任は、ほぼ確実である。気が早いが、そのお披露目公演の演目として、どうだろうか。
演出は、生田大和先生でお願いしたい。過去にもシェイクスピア、ロベスピエールなどを題材にした作品を創ってきた、知性派の生田先生であれば、ガロア理論も理解できるだろうと信じている。
花組が観たい
以上、妄想以外の何物でもない文章を披露したが、実は最近、劇場に行けていない。
久しぶりに花組の明日海りおが観たいので、宝塚ファンの同僚にお願いして、チケットを取りたいと思う。
こんな危ない私だが、どこにでも、同じような仲間はいるのだ。
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