日記が灯す記憶のトポス〜『アンメット ある脳外科医の日記』

ろうそくと手紙のイメージ
この記事は、『アンメット ある脳外科医の日記』の内容について詳しく触れています。あらかじめご了承のうえ、お読みください。

はじめに:記憶をつなぐ日記と身体

ドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』は、記憶障害を抱える脳外科医・川内ミヤビ(杉咲花)の日記を通じて日々を紡ぐ物語だ。

ミヤビは事故の後遺症で直近2年間の記憶を失い、さらに「今日の出来事は明日には全て忘れてしまう」症状を抱える 。彼女にとって日記こそが過去と現在を結ぶ命綱であり、毎朝それを読み返すことで一日が始まる。

杉咲は「ミヤビが過ごしてきた時間をよりそばに感じられるように、自分で書かせてほしい」と制作段階で提案し、実際に撮影で使う日記を一ページずつ手書きしていったという。

通常なら小道具の日記は一部だけ俳優が書き、残りはスタッフが埋めるものだが、本作では最初から最後まで全てがミヤビ本人(杉咲)の字で統一されている。「朝、ミヤビが日記をパラパラとめくったときに違和感が一切なく、芝居や撮影の自由度が増した」とYuki Saito監督も語っている。

杉咲自身、「撮影の順番に合わせて日記の中身を整理しながら進めているので、その緊張感はミヤビとシンクロしている」と述べ、日記を手に持つことで役としての心構えがより引き締まると感じたという。役者の身体的な労力さえいとわず生み出されたこの直筆の日記は、単なる小道具を超えて、物語世界と俳優の現実を橋渡しする媒体となっている。

関手としての日記

ここで私は、数学の圏論における「関手」を思い出す。関手(functor)とは、「ある構造を別の構造へ写しとる対応関係」のことである。平たく言えば、関手はふたつの世界の間の橋渡しであり、片方で起こる出来事や関係性をもう一方に対応付けてゆくルールだ。

ミヤビの日記はまさに、彼女が体験した日常(記憶の世界)を紙の上の文字(記録の世界)へと映しとる写像になっている。日々起こった出来事や抱いた想い(現実のカテゴリ)が、夜に日記として綴られることで紙上の物語(記録のカテゴリ)へと写し取られる。この対応は単なるメモ以上の意味を持つ。

なぜなら、ミヤビにとって日記に書かれる内容こそが翌日以降の彼女の「記憶そのもの」になるからだ。

日記という関手を通じて、一日の体験という構造が翌日の自己認識という構造へと受け渡され、連続性が保たれる。俳優・杉咲花が自らの身体でこの筆記行為を担ったことは、文字通り身体性を帯びた関手の働きを物語に埋め込んだと言える。

杉咲の手が生んだ文字は、役としての彼女の内面と物語世界を直結させ、フィクションに実在の肉体的実感を浸透させている。その結果、スクリーンに映る日記は虚構の小道具ではなくミヤビの分身として機能し始める。紙面に刻まれた字の揺らぎや修正テープの跡すらもリアリティの一部となり、観る者に登場人物の鼓動を伝える。まさに俳優の身体から物語への橋渡し(関手)がここに実現しているのである。

14分間の奇跡

この関手的な効果は、第9話のクライマックスである約14分間の長回し(一発撮り)によって極限まで発揮された。

ラストシーン、ミヤビと三瓶(若葉竜也)が静かに言葉を交わすこのシークエンスは、スタッフも最小限に絞り「ドキュメンタリーを見ているよう」と評されるほどナチュラルな空気感で描かれた。

カメラが回り続ける緊張感の中、杉咲と若葉はまるで本当にそこに生きている人物同士のように呼吸を合わせ、即興劇さながらの奇跡的な一体感を見せる。実際、SNS上でも「あまりに自然でセリフかアドリブかわからない」と放送中から話題沸騰し、日本のトレンド1位を獲得するほどの反響を呼んだ。

特筆すべきは、三瓶が「僕はまだ光を見つけられていません…」と弱音を吐いた後に返されたミヤビの一言、「三瓶先生は、私のことを灯してくれました」という台詞だ。この言葉は脚本になく、杉咲花がその場で発したアドリブだった。

第6話のあるシーンが即興に見えて実は台本通りだったのとは対照的に、一見「アドリブなわけがない」と思われたこの告白の言葉こそが即興だったと知り、視聴者は度肝を抜かれた。10分以上セリフを紡ぎ続ける長回しの最中にアドリブを織り交ぜても破綻しないのは、杉咲と若葉の絶対的な信頼関係ゆえでもある。

そして何より、「灯してくれました」という表現の妙が胸を打つ。ミヤビは決して「光をくれました」や「照らしてくれました」といった大仰な言い方はしない。「灯してくれました」こそがミヤビにしっくりくる表現であり、それが咄嗟に出てきたのは、杉咲がまさに役を生きていたからだ。

この一言に詰まった静かな感謝と敬意。ミヤビという人間の内奥からほとばしったようなその言葉は、演者である杉咲花の身体を通じてキャラクターの魂が直接語りかけてきたかのような余韻を残した。物語世界と俳優の現実が重なり合う瞬間——関手としての日記が育んだリアリティは、ここでひとつの結実を見せたのである。

光と影の比喩

「灯す」という言葉が示唆するように、『アンメット』には光と影のメタファーが一貫して流れている。

本編でたびたび繰り返される、薄暗い部屋でミヤビと三瓶がろうそくの火を見つめながら語り合う回想場面は、プラトンの有名な「洞窟の比喩」を想起させる。

暗い洞窟の中で影しか見たことのない囚人は、それを現実そのものと思い込む。同じように、記憶を失ったミヤビにとって日記に書かれた出来事こそが唯一の現実(真実)だ。

昨日自分に何があったのか、彼女は自分の手で壁に映し出した影──すなわち日記の記述──を通してしか知るすべがない。日記は洞窟の奥に差し込む微かな炎のように、過ぎ去った出来事の輪郭を影絵として映し出す。それはイデア界の光には及ばないかもしれないが、少なくとも彼女が闇に呑まれないための拠り所となる光源だ。

毎朝、ミヤビが日記を読み返す所作は、闇の中で火を灯し影から真実を探る哲学者のようでもある。一方で、三瓶医師や家族といった周囲の人々は、彼女に新たなをもたらす存在だ。三瓶先生は「灯してくれました」と言われたように、ミヤビ自身が点す日記の灯火とは別の角度から彼女の世界を照らし出す。それは洞窟の外から射し込む太陽の光に喩えてもよいかもしれない。

ミヤビという一人の人間の内面世界に、他者という光源が差し込むとき、新たな気づきや感情が生まれる。こうして『アンメット』の物語空間は、複数の光源によって陰影が刻々と変化する意味の空間となっている。

この意味空間を、数学の概念になぞらえてトポス(topos)と捉えてみよう。トポスとはギリシャ語で「場所」を意味し 、論理や構造が内部に備わった「自律的な宇宙」を指す概念だ。言い換えれば、あるトポスの中ではその世界独自の論理が成立しており、外部から規定されなくても完結している。

『アンメット』におけるミヤビの世界は、まさに彼女独自のルールで動く小さな宇宙だと言える。そこでは「記憶」が絶対的ではなく、日記に書かれたことだけが確かなものとなる特異な論理が展開する。

彼女の日常における真実(何があったか、誰を大切に思っていたか)は、その都度日記という内部の記録によって保証される。言い換えれば、日記がなければ彼女の世界には真理が存在し得ないのだ。これは通常の現実とは異なる論理体系だが、ミヤビの内面世界では一貫して成立している。

そして興味深いことに、ミヤビのトポスは彼女一人の主観だけで閉じてはいない。他者という光が射し込むことで、新たな事実や記憶の痕跡が生まれ、世界の解像度が上がってゆく。例えば、三瓶との交流の中で彼女が取り戻した感情や「大事な思い出」は、単なる日記の文字以上の鮮明さで彼女の中に焼き付いたかもしれない。

こうして物語終盤、日記という影を超えて直接心に刻まれた光が彼女の中に灯ったことが示唆される。副題にある「日記」が実はラブレターとして機能していたという最終話の展開も、その象徴だろう。ミヤビの書く日記は単なる自己記録ではなく、誰かへの想いを綴った手紙=光そのものへと変容していたのだ。

『アンメット』の意味空間は、このように多層的な光と影で織り成された一種のトポスである。

そこでは忘却という暗闇と、日記や他者によってもたらされる光とがせめぎ合いながら、独自の論理で真実が立ち現れてくる。カテゴリ的に言えば、ミヤビ個人の主観世界と彼女を取り巻く客観世界の二重構造があり、日記という関手が両者を結びつけつつ、全体としてひとつのトポス(作品世界)が成立しているとも解釈できるだろう。

杉咲花の身体を通じて書かれた日記は、そのトポス内に具体的な手触りを与えるオブジェクトとなり、彼女が発した「灯してくれました」という言葉はトポスに差し込んだ光の象徴となった。それは視聴者という外部の世界にも届き、劇中の三瓶先生だけでなく我々の心にも小さな灯火をともす

内なる光を共有する

最終話、あの薄暗い部屋の中で交わされた対話の秘密が明かされる。ここでミヤビが三瓶に示した解には心が震えた。暗闇に光を一方的に当てて影を生むのではなく、影に寄り添い合いながら内なる光を共有すること──それこそがミヤビの示した答えであり、本作全体を貫くテーマだった。

ドラマ『アンメット』は、満たされない欠落を抱えた世界にそっと灯りを点し、影の中から人と人との絆という光を浮かび上がらせた。圏論的な観点から紐解くことで見えてくるのは、日記=関手と光=トポスが織りなす精緻で詩的な構造だ。

それは、誰しもが感じ取ることのできる温かな余韻として、作品全体に静かに行き渡っている。

【参考ウェブサイト】

ある制作チームの日記(カンテレ)







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