2022 独断と偏見で選ぶ!超個人的な優秀男優賞3選

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2022年を振り返る(遅い)

さて、気づいたら年末である。年末。恐ろしい響きを持つ、この単語。歳を重ねるたびに、その重みが迫力を増して、40代になると、否応なく「またの名を、死!」と叫びたくなるくらいのヘヴィさがある(注:個人差あり)

私は舞台を見るのだが、「趣味が舞台鑑賞です」とは、なんだか気軽には言えないくらいの頻度で通っている。毎年、年間の鑑賞本数をエクセルにまとめており、2022年度は、なんとその数・240本。怖い。まあ、実際にはマチソワが多いので、毎日、日生劇場に入ってベテランのスタッフさんから目をつけられる、みたいなことはない(と、信じたい)。

それだけの本数を見ていると、もはや依存症なのでは……という疑いもあるが、そこはどうか生暖かい目で見て勘弁していただきたい。最近は持病の腰痛が悪化してきているので、来年は100本くらいに減ると思う。たぶん

まあ、前置きはこれくらいにして。本題は今年の振り返り、である。これはもう、個人的な主観が入りすぎているので、真面目なレビューがお読みになりたい方は、迷わず読売演劇大賞の講評に目を通すことをおすすめする。

とりあえず、選び切れない中、苦戦しつつも、トップの3人を挙げてみた。反論は受け付けます!が、どうぞお手柔らかに(弱気)。

斉藤莉生(ハリー・ポッターと呪いの子)

2022年は、私にとって「斉藤莉生を発見した年」として、未来永劫、脳内に刻まれることが確定している。それ以前の歴史は、BSR(Before Saito Rio)と呼びたい。

異常に大仰な表現だが、私をここまで狂わせる俳優は、滅多にいないので、どうか中年男性の戯言と受け流してほしい。

斉藤莉生は、ホリプロの超大作『ハリー・ポッターと呪いの子』のスコーピウス役としてデビューした。そう、これが俳優デビュー作なのである。本当に?信じられない?という声が続々と脳内に響き渡るが、そう、これが真実。あらためて振り返ると、とんでもない新人が現れたと思う。

『呪いの子』は、ハリー・ポッターの息子であるアルバスと、その親友・スコーピウスの二人が主軸となって進む物語。ゆえに、斉藤莉生が担う役割は、超重要。内容のネタバレは避けるが、彼は、恐らく、全編で最も登場する場面が多い。当然、台詞の数も膨大だが、それだけでなく、ハリポタには欠かせない魔法など、超弩級に体力を使う演出で魅せる必要がある。

非常に正直に申し上げると、私は開幕前、あまりこの作品に期待していなかった。日本でのローカライズは難しいとも想像していたので、魔法の華やかさが楽しめるアトラクションとして成立していれば、それで満足。とタカを括っていた。

それが、である。斉藤莉生は、スコーピウスという役の本質を理解した上で、自分なりの造形を見事に築き上げていた。父との関係性に葛藤を抱える、少年の複雑な内面を、こんなにも光り輝かせることができるとは。

魔法の世界のオタクパワーで観客を爆笑させる、その圧倒的なコメディセンス。相手の呼吸を柔軟に受け止める、天性とも言える芝居の嗅覚。私は、その原石のような魅力に釘付けになった。

『呪いの子』は、今年12回も見ているが(見過ぎだろう)、その原動力のひとつは、間違いなく彼のスコーピウスである。

今のところ、『呪いの子』はロングラン公演が続いているため、斉藤莉生の次回出演作は未定。だが、本人はミュージカルにも関心がある模様。いつか是非とも、その歌声を劇場に響かせていただきたいと思う。『スリル・ミー』とか、どうでしょう。ホリプロ様?(念を送る

藤原竜也(ハリー・ポッターと呪いの子)

2人目は、またしても『ハリー・ポッターと呪いの子』より、泣く子も黙る藤原竜也である。

「ハリー・ポッターと藤原竜也」の組み合わせは、実際に見てみるまで、どうなるのか全く予想がつかなかった。

SNSでは、「カイジのような叫び声でエクスペクト・パトローナム!を唱えるハリー・ポッター」の想像図がわんさか登場していたが、自分も、このホリプロの采配が吉と出るのか凶と出るのか、全然判断できなかったのが本当のところ。

だが。しかし。藤原竜也は、稀有な舞台役者であった。故・蜷川幸雄により見出されたその素質は、やはり本物。いったん板の上に立つと、修羅のようなオーラを放つ。

彼の素晴らしい点は、数々のシェイクスピア劇によって磨き上げられた、強靭な台詞術である。イギリス演劇らしく、『呪いの子』の脚本には、古典の要素が多く含まれている。翻訳に関しても、その原義を仄めかすようにできている。

藤原竜也は、元の英語が持つ韻律を日本語で再現する技量が凄かった。ハリーの感情が爆発する場面など、猛スピードで喋るのだが、一切噛まない。そして、リズムが美しい。

ハリーは石丸幹二、向井理とのトリプルキャストだが、藤原竜也の演技は相当に異色であったと思う。厳格な「父」としてアルバスに振る舞う石丸ハリーや、子世代にフラットに接する向井ハリーとは違い、藤原ハリーは、内なる「子」の人格が抱えるエネルギーが強烈だった。

悲惨な幼少期を過ごした彼ならではの苦悩が滲み出るような造形で、息子アルバスに対しても、全く手を緩めない。新人俳優たちの秘めた才能を抽き出すような、凄味のある芝居で、プレビュー期のカンパニーを全面的に支えた功績は偉大だと言える。

この活躍はNHKの『プロフェッショナル』でも特集されていたが、この中で藤原竜也が放った「破壊と創造」という言葉は、相当に重い。ロングラン公演は終わりのない世界。その中で、モチベーションを最高の状態に保ちながら芝居を続けるにはどうすればよいか。その疑問へのヒントが秘められていると思う。

城田優(キンキーブーツ)

『キンキーブーツ』に関しては、あまりにも悲しい出来事が起きてしまったために、完全に時が止まったような気がしていた。再再演が実現するのは、相当に難しいとも感じていたし、カンパニーの面々が簡単に承諾するとも思えなかった。それが、城田優の出演により息を吹き返したのが、2022年である。

本作に懸ける城田優のプレッシャーは半端なものではなかったと想像する。しかし、実際にこの目で見た彼の演技は、掛け値なしに素晴らしかった。彼の個性は、ローラの素顔である、サイモンとしての内面を掘り下げた点にある。華やかなドラァグクィーンが、どのような人生の中で生まれたのか?その疑問に対する答えを、台詞や歌を通じて、自然に、かつ明確に体現していた。

城田優は、高度な歌唱力が特長だけれど、真に優れているのは、役を伝え切る表現力だと思う。出色だったのは、主人公のチャーリーと歌う”Not My Father’s Son”で、その透き通る歌声には、サイモンの少年としての過去が覗くようだった。

クライマックスの”Hold Me In Your Heart”は、父親への愛憎が入り混じる葛藤が全身から伝わってきた。自分自身の人生と共鳴して、無意識のうちに涙が流れてしまった。また、”What a Woman Wants”では、持ち前の色気を活かした歌唱で、硬軟を自在に操る姿が圧巻だった。まさに「歌のローラ」と呼ぶに相応しい造形である。

城田優は、作品内で何かを演じる役を得ると、不思議な魅力を放散する人だと感じる。今回も、サイモン/ローラという二重性を通じて、人間の陰陽をドラマティックに表現してみせた。そこには、彼の人格を形成してきた歴史が影響しているし、恵まれた体躯と繊細な内面の対照が、彼に無二の個性を与えているのだと思う。

選び切れるわけもない

以上、超個人的な好みで、3人の名を挙げたわけだが、正直、選び切れない。今年の観劇リストを眺めながら、最終候補に残ったのは、以下の方達である。私に選ばれたとて、なんの名誉もないわけだが、自分自身の記録のために、短評を添えて書き留めておきたい。

市村正親(スクルージ)

いまさら説明するまでもない、ミュージカル界の帝王。だが、今年の『スクルージ』には、やはり泣かされてしまった。個人的に、市村正親が演じてきた役の中で、トップクラスに好みであり、観客に普遍的な感動をもたらす演技だと思う。名曲”I’ll Begin Again”は、一朝一夕の経験では歌えない。あと、73歳のフライングは凄すぎる。「アタタミュ」の3倍くらいの豪速で日生劇場を飛んでいたが、大丈夫なのだろうか?と、真剣に案じてしまったり。今後も、無理のない範囲内で頑張っていただきたいと願う。

坂本昌行(THE BOY FROM OZ)

舞台を普段見ない人にとって、坂本昌行にミュージカル俳優というイメージはないのかもしれない。が、読売演劇大賞の優秀男優賞も獲得している、超本格派である。『THE BOY FROM OZ』は、本家ではヒュー・ジャックマンが演じる大役、ピーター・アレンを務めており、もはやライフワークと化しつつある。彼の素晴らしさは、人生の年輪を感じさせる、その豊かな表現力にあり、大曲”Once Before I Go”は、生で聴くと、心が震える。

黒羽麻璃央(るろうに剣心 京都編)

『るろうに剣心 京都編』の志々雄真実は、2022年びっくりした役No.1である。なにせ、序盤のわずかな場面以外、その素顔が出てこない。ずっと包帯を巻いている。なので、役者本人の武器である、そのルックスの美しさに全く頼れない。芝居一本で勝負に出なければいけない難役。正直、黒羽麻璃央が、ここまで自我を解放して、悪の華というべき魅力を開かせたのは、予想外だった。それまでは、美声を活かした、ロミオのような役が似合うとも思っていたこともあり。でも、その獣のような咆哮で、この舞台で一番とも言える印象を残してくれた。『刀剣乱舞』で鍛えられた殺陣の技術も一流である。

宮崎秋人(アルキメデスの大戦)

宮崎秋人は、この世代において、演技力が突出していると思う。色々な作品に出演しているのだが、いつもその本性が見えないので、後でプログラムを開いて驚くこともしばしばである。たぶん、高確率で天才なのではないかと思っている。今年は『マーキュリー・ファー』のローラ役も鮮烈だった。が、それよりもさらに驚いたのが、『アルキメデスの大戦』の田中正二郎役。田中少尉は、主人公の櫂少佐を助けるのだけれど、舞台が進む間、本当に戦時中の青年にしか見えなかった。それでいて、笑いを取る場面ではしっかりと仕事をこなす。その抜群のバランス感覚。作品自体は、劇団チョコレートケーキ組の演出による大変に硬派なストレートプレイだったが、宮崎秋人が存在することで、物語の大事な歯車が回り出す印象があった。

玉置玲央(空鉄砲/ジョン王)

玉置玲央は、ヤバい役者である。語彙力が欠落しており大変に申し訳ないのだが、たぶん、この形容が一番似合う気がする。柿喰う客の妖しい世界観を体現させたら、天下一品。年初に上演された『空鉄砲』は、男子3人組によるコンパクトな芝居だったが、その密度が半端ではなかった。中屋敷法仁の書く脚本は、役者に強靭な実力を要求する。基礎が堅固でなければ、台詞が伝わらないし、あのリズム感が構築できなければ、感動が生まれない。玉置玲央は、この仕事を完璧に実行できる、数少ない人間だと思う。また、年末の『ジョン王』のコンスタンスも、相当にヤバかった。あれほどまでに斬れ味鋭い狂乱を魅せる俳優は、そういない。あと、白石隼也と並ぶと、なぜかお得感が生じるのは気のせいだろうか。

福士誠治(ルードヴィヒ)

芸劇の『ルードヴィヒ』は、中村倫也の鬼神のような演技力、歌唱力が評判になった。衣装の内股部分がざっくり裂けても動じない、その舞台度胸は天性のものである。けれども、共演の福士誠治の実力が相当に高かった点も記憶しておきたい。彼が演じる役は多岐にわたるのだが、青年期から壮年期までの人物を的確に演じ分けないと、舞台上で何が起きているのかさっぱりわからなくなるという、恐ろしさがあった。でも、彼は声の使い方が完璧で、一瞬にして、人格の切り替わりが観客に伝わるという離れ業をやってのける。中村倫也に比肩する偶力がないと、舞台そのものが回らなくなる重要な役目だったが、見事に務め上げたと思う。元々は小劇場向けのミュージカルを、プレイハウスの大舞台にスケールアップさせた力量も出色。語るように唄う、芝居歌ができる才能も、非常に貴重である。

三浦涼介(舞台「呪術廻戦」/フィスト・オブ・ノーススター 北斗の拳)

とにもかくにも脚が長い。いや、役者として肉体そのものを褒めるのはどうなのか、という意見があろうことは重々承知だが。三浦涼介は、本当に脚が長いのである。その美点が、遺憾なく発揮されたのが、『舞台「呪術廻戦」』の五条悟役。これは、間近で見たが、度肝を抜かれた。原作の漫画では、五条が椅子を跨いで喋る場面があるのだけれど、その縮尺が忠実に再現されていた。にわかに信じがたい。また、五条が領域展開するクライマックスでは、客席が一斉にオペラグラスを上げる現象も発生。そして、秋に再演された「アタタミュ」では、役割が大きくアレンジされたレイを、これまた完璧に体現。もともと、生きる2.5次元的な存在の彼だが、超絶スタイルなキャラクターを立体化することにかけては、右に出る者がいない。この路線で今後も突き進んでほしい。

続きは来年に!

以上、2022年の優秀男優賞を独断と偏見だけで選出した。あとは、『ショウ・マスト・ゴー・オン』で、怒涛の代役連投を務めた三谷幸喜も捨てがたいが、これはちょっと何か別のカテゴリーな気がするので、特別賞ということにしておきたい。

優秀作品賞と優秀女優賞については、書く時間がないので、来年に持ち越したい。いや、本当に、もっと計画立てて行動しよう……というのを、来年の目標にします(許してください)。







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