削除できない記憶
『dele』は、私にとって忘れられない作品の一つだ。
『dele』(ディーリー)は、2018年7月-9月にテレビ朝日系列で放送された連続ドラマ。本多孝好による同名の小説を下敷きにして、小説とは異なるオリジナルの世界が描かれる。
物語は、坂上圭司(山田孝之)と、真柴祐太郎(菅田将暉)の二人の登場人物を中心に進行する。
圭司は、依頼人の死後に、デジタル遺品を「削除=dele」する業務を請け負う会社、「dele.LIFE」(ディーリー・ドット・ライフ)の代表。祐太郎は、とある事件がきっかけで、偶然、圭司の元で働くことになる。
本作は、複数の脚本家による競作と、各回における豪華なゲスト陣が話題になった。
ドラマとしての『dele』は、その独自性溢れる表現が高く評価され、ギャラクシー賞(2018年9月度月間賞)、第13回コンフィデンスアワード・ドラマ賞(主演男優賞)、第98回ザ・テレビジョンドラマアカデミー賞(監督賞)などを受賞。
『dele』は、非常に優れた作品だが、その中でも、3話「28年の逃亡犯と監視された女」は、連続ドラマ史上に残る傑作と言える。今回は、この3話の魅力について触れたい。
3話のあらすじは、テレビ朝日の公式サイトから確認できる。以降の文章は、読者が『dele』の3話を視聴していることを前提として書く。
繋ぎ留められる影
3話の映像は、高橋源一郎が演じる、浦田文雄の後姿から始まる。
街中を歩く浦田は、掲示板の前で、ふと足を留める。彼が目を遣った先には、逃亡中の指名手配犯・五藤卓の写真があった。
この場面で、浦田は、自分自身の影を見つめているように映る。
現実世界の高橋源一郎は、横浜国立大学在籍中に、学生運動に参加し逮捕され、東京拘置所に収監されていた過去がある。
浦田は、二つの世界を繋ぎ留める楔のように、映像に存在している。
菅田と高橋源一郎さん。dele第三話は8月10日よる11:45。 #dele https://t.co/wsyNwOkNyX pic.twitter.com/5ouP1JcXkm
— 菅田山田 dele (@sudayamada) August 9, 2018
圭司が不在の「dele.LIFE」事務所。そこで浦田は祐太郎に、ある相談をする。
その相談とは、データを削除する前にコピーし、バラの花と一緒に、ある人物に届けること。祐太郎は、その裏側に隠されたロマンスを想像し、受諾する。
だが、バラは、さまざまな観念を表象する。バラは、革命の象徴でもある。
換喩としての生
浦田は、寂れた海辺の町で、「みなと写真館」の店主として生きている。彼は、「写真館」として自らを名指し、周囲の人々と交流することはなかった。
浦田は、ある日、写真館を閉めることを決め、江角幸子(余貴美子)の元を訪れる。幸子は、親の死を機に、「カモメ理髪店」を継ぎ、28年間、独りで暮らしていた。
浦田はただ、写真を返すだけのつもりだったが、幸子は引き留め、「一度くらいは、うちで髪を切りませんか」と誘う。
「写真館」という換喩としての生を終える時、浦田は何を想ったのだろうか。
視線の共犯
「dele.LIFE」への依頼を了えた後、浦田は、海へ飛び降りて自らの命を断つ。
そこから、祐太郎と圭司は、浦田の過去について知ることになる。
浦田は、公安のS(スパイ)として、幸子を監視し、彼女の行動を28年間、記録し続けていた。
祐太郎と共に「みなと写真館」を訪れた圭司は、そこで目を瞑り、在りし日の浦田の姿を想像する。
レコーダーに残された幸子の声。年月を経るごとに、少しずつその響きは変わってゆく。
雪の降る日、理髪店の玄関先で、夜空を見上げた幸子。その姿を眼差す浦田。交わらない視線の上で、二人は共犯者として、お互いの時を止めようとする。
零れ落ちる砂
圭司が二人の過去を視る間、マーラーの交響曲第5番・第4楽章「アダージェット」が流れる。
この音楽は、観る者に、映画『ベニスに死す』を想起させる。
老作曲家アッシェンバッハが、美少年タジオを見つめながら、命を落とす物語。
砂時計の中を零れ落ちる砂のように、静かな確かさで、終わりの時は近づいていた。
歴史の重奏
幸子は五藤の恋人であり、密かに、逃亡のための資金を援助し続けていた。理髪店でパソコンを開き、あるサイトを覗く彼女。
幸子はここで、五藤との密会の場所を遣り取りしていた。
「百万本のバラ」という名前を使って、情報を伝え合う二人。それを盗み見る浦田。浦田は、五藤からの連絡を、「花屋来る」という表現で、記録に残していた。
浦田は、公安がいずれ、そこに隠された事実を暴くことを予期していたのかもしれない。
だが、その日が来ることはなく、監視は打ち切られた。誰にも必要とされない記録を残し続けた浦田。
「百万本のバラ」の原曲は、ラトビア語で書かれている。大国に翻弄されるラトビアの受難の歴史は、翻訳の中で、その意味を塗り替えられる。
この楽曲を日本語で歌唱した加藤登紀子は、学生運動の指導者であった藤本敏夫と結婚している。
煙草と写真
浦田の死後、理髪店を閉め、故郷を去った幸子。ホテルの部屋で、幸子は浦田との記憶を辿る。
「写真館」としての役割を終え、幸子に髭を剃られる浦田は、「もう終わりにしました」と告白する。その一言から、幸子は全てを悟る。
浦田が海に飛び降りた時、町中を駆ける幸子の姿に重なる「アダージェット」。
昔の写真を眺めながら、煙草の匂いに霞む空気の中で、幸子は決意する。
唇を閉ざす指
麹町西公園。43年前の爆破事件の現場。
幸子はこの場で、五藤を待つ。圭司は祐太郎に5本のバラとメモリーカードを持たせ、幸子の元に向かわせる。
その時、祐太郎の目の前で、五藤が逮捕された。
驚く祐太郎だが、圭司に促され、幸子に声を掛ける。
しかし、その依頼は、すでに果たされていた。祐太郎の手にあったものは、それ自体が剰余だった。
警察の足音が近づく中、浦田の想いを代弁しようとする祐太郎。だが、幸子はその言葉が発せられる唇を指で閉ざす。
意味の雨が流れ落ちる穴を封じ、幸子は、微笑みながら、自らの運命を受け容れた。
矛盾の合間
任務を終え、事務所に戻った祐太郎と圭司。そこで、祐太郎は「5本のバラ」の花言葉を、検索エンジン「IBIS」で調べる。
その意味を知り、「ケイって、意外とロマンチストなんだね」と笑う祐太郎。
3話の放送終了後、多くの視聴者が、「5本のバラ」をインターネット上で検索した。しかし、物語世界で、祐太郎が見たものを、私たちが知ることはできない。
二つの世界の意味が同一であることを、保証するものは存在しない。
『dele』は、物語が孕む矛盾の合間に、真実の儚さを映し出してゆく。依頼人の記録は削除できるが、遺された者の記憶は削除できない。
私の前にバラが在る時、私はそこに、何を視ているのだろうか。
3話よかったですね。アダージェットはどうしてもベニスの海が浮かんでしまうので、他の作品で使われた時に興ざめしてしまっていましたが、deleでは物語の静かに流れる時間に切なく響いてくれていました。よい映画を観た後のようでした。
晞 さん:
コメントありがとうございます。deleは音楽の使い方、映像の表現が秀逸でした。おそらく「バラ」は、ラカンが言うところの対象aであり、この物語では、私たちが他者の人生を表象/代理することへの不可能性が描かれていると感じました。
「手に入れたいものを求めない、求めてはいけない」と描かれる物語に惹かれてしまいます。同時にアッシェンバッハや家族の肖像の主人公のように人生の終わりに近づいて、欲望の対象を手に入れようとして滅んでしまう物語にも共感します。確かに私などにはどちらの人生を選ぶ覚悟はないでしょうね。バラは欲しいけれど。