フラグメントとしての物語/世界/猫【ネコメンタリー 「岸 政彦とおはぎ」】

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猫の日

2月22日は「猫の日」だった。

この日、シャープはニャープになり、ツイッターのタイムラインは、猫に対する呟きで溢れた。

私も指先で、数多の猫に触れた。

私は、いつの頃からか、猫アレルギーを抱えるようになり、現実の猫に接することができない。

一度、どうしても我慢できなくて、猫カフェを訪れたこともある。だが、その時は、瞼の皮膚が剥がれるほどの反応が私を襲った。

それ以来、私の傍らに猫は居ない。

猫も杓子も

先日、NHK Eテレで放送された『ネコメンタリー 猫も、杓子(しゃくし)も。』に、岸政彦さんと、愛猫のおはぎが登場した。

事前に情報を得ていた私は、番組を録画し、視聴した。

社会学者/小説家 岸政彦

岸政彦は、沖縄でのフィールドワークで知られる社会学者であり、また、小説家でもある。

岸さんは、顔が美しい。

ゲイの間で、「抱かれたい社会学者アンケート」を実施したら、非常に高い確率で、岸さんが1位になるだろう。(2位以下は知らない)

『ネコメンタリー』の映像は、おはぎに触れる岸さんと、岸さんに触れられるおはぎの姿から始まった。

岸さんと、連れ合いの齋藤直子さん、おはぎ、そして、そこには居ない、きなこ。その家に流れる空気の匂い、温度が伝わるように、番組は静かに進む。

岸さんは、「歴史の出来事は、必ず、個人によって経験される」と述べる。それは、とても社会学者らしくない意見で、それが、岸さんを特別な存在にしている。

「移世界」系小説

芥川賞候補になった岸さんの短編小説、『ビニール傘』は、不思議な物語だ。

ビニール傘 [ 岸 政彦 ]

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作品に登場する、「俺」と「私」は、語りの中で、少しずつ、その存在がずれてゆく。

私は最初、この小説が「移人称」による語りを用いていると思っていた。しかし、岸さんへのインタビュー(芥川賞にもノミネート 小説『ビニール傘』はこうして生まれた)によると、それは「全部ひとりの人間の話」らしい。

動くのは世界の側。あえて名付けるとすれば、これは「移世界」系の小説、と云えるだろうか。

作品の中で、「俺」が、こう語る場面がある。

世界中の人間が滅びてしまうと、人間に飼われている犬や猫も死んでしまうだろう。人間が滅びるのは一向にかまわないけど、犬や猫がそれでつらいことになってしまうのは嫌やなあ。

その言葉は、隣にいる「彼女」に聞こえている。そして、「俺」は、「大阪が滅びても滅びなくても、どっちにしてもふたりっきりしかいないんだな、と思う。」

ピンクとオレンジ

『ビニール傘』では、「彼女」が、パーソナルカラーについて語り出す場面がある。勤務先の美容院で受けた研修の話。

タクシー運転手の「俺」が見た女の「ピンク」の爪。そして、誰かが見た、派手な「オレンジ」色のバランスボール。

二色の対比が映し出すのは、一人の「私」なのだろうか?

物語の無意味

岸さんの著書、『断片的なものの社会学』は、私の中に、緩やかに確実に、「揺らぎ」を与えた。

断片的なものの社会学 [ 岸政彦 ]

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「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」という文章に出てくる「架空の話」は、未だに私の心の隅に、のように転がっている。

徹底的に無価値なものが、ある悲劇によって徹底的に価値あるものに変容することがロマンなら、もっともロマンチックなのは、そうした悲劇さえ起こらないことである。

私は、この本が「文学」であると思う。

だが、岸さんは、社会学者として、今も、おはぎときなこを愛しながら、物語の現実を視て、聴いている。

検索すらされない、フラグメントとしての物語。

それは無意味だが、無意味だから、美しいのだろう。







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