第1章:導入 ―― 言葉になる前の震えを探して
私たちは言葉を使って世界を理解し伝達します。しかし、言葉になる直前の「意味の震え」とも言うべき微かな状態があるのではないでしょうか。詩人が言葉を紡ぐ刹那、または誰もが発話の直前に感じる胸の高鳴り――そこには既存の言語や論理では捉えきれない生成の瞬間があります。この文書では、そのような意味が言葉になる直前の揺らぎを数理的かつ詩的な構造としてモデル化する試みを行います。論理的な厳密さと感性的な豊かさ、その両極の「あわい(間, Awai)」に立つ視点から議論を展開し、学術の既存ジャンルを越境する創造的哲学の地平を目指します。
言語表現は一般に明確な論理(意味の明示)と情緒的ニュアンス(意味の含意)の両面を持ちます。論理と感性の“あわい”、すなわち明確に定義された意味領域と、感覚的・直感的な意味領域の重なり合う部分にこそ、言葉にならない何かが横たわっています。実際、日本語の古い言葉で「あわい」とは「合う(会う)」を語源とし、AとBが重なり合う空間を指す語です (あわい と あいだ – だんだんと美しくなる人生)(対照的に「あいだ(間)」は単なる隔たりを意味します (あわい と あいだ – だんだんと美しくなる人生))。本稿では、この「Awai」と名付けた概念空間を中心に据え、論理と感性の狭間にある詩的構造を数学的モデル(圏論的モデル)として構築していきます。

図1: 論理(青)と感性(赤)の領域が重なり合うあわい(紫)の概念図。人間の認識において、この重なり部分に意味の揺らぎや詩的創造の源がある。論理的明晰さと感性的曖昧さが出会う場がAwaiである。
このアプローチの核となる概念は次の通りです。まず、私たちはAwai圏と呼ぶ数学的構造(圏)を考案し、その中で通常の真理値(真/偽)を与える対象Ωに収まらない要素、いわば“真理の外側”に位置する要素Ω⁻¹を導入します。また、圏論のモナドという構造を用いて、意味が定まるプロセスそのものを写像(自己関手)として捉えます。さらに、このモデルでは観測不能な観測者というパラドックス的存在(自身を完全には観測できない観測主体)を考慮し、意味解釈の主体を内部に含みつつ客観視できない構造を組み込みます。最後に、Awai圏における射(マッピング)は一般の圏の射と異なり非可換である――すなわち意味の合成順序が結果に影響を与える――ことを強調します。
以上の要素を組み合わせることで、本稿は世界を包み込む詩的構造の数理モデルを提示します。それは単なる比喩ではなく、論理と詩が交錯する場に実在する構造を解明する試みです。以下、第2章ではまず「意味以前の震え」とも呼ぶべき現象の構造を探り、第3章以降でAwai圏および関連概念を順次構築・考察していきます。
第2章:震えの構造 ―― 意味以前の生成空間
「言葉になる前の震え」とは、明確な意味や言語表現が生まれる直前に存在する潜在的な意味のゆらめきです。それはまるで暗闇の中で形になる寸前のイメージのように、未分化でありながら何かを孕んでいる状態です。哲学者たちはこれを様々に表現してきました。フランスの思想家ジュリア・クリステヴァは、言語化される以前のリズムや衝動の流れを「セミオティック(記号的過程)」と呼び、それは「言葉になる前の『存在』であり、生の衝動やリズムの源泉で、文字通りの意味を超えた存在」であると述べています (
On Julia Kristeva’s “the semiotic” | feministtheory2013)。このセミオティックな層は言語化(シンボリックな秩序)によって抑圧されますが、音楽や詩によって象徴秩序を揺るがしつつ表出するとされています (
On Julia Kristeva’s “the semiotic” | feministtheory2013)。つまり、明確な言葉の背後には、言葉に先行し言葉に影響を与える揺らぎの領域があるのです。
この生成的な揺らぎの空間は、物理学の視点から類比的に捉えることもできます。量子論によれば、真空は決して静的な「無」ではなく、観測できない小さな揺らぎ(真空ゆらぎ)で満ちているとされます。「量子物理学において真空は空っぽではなく、微小な電磁場のゆらぎが染みついている」という報告もあります (Fluctuations in the void)。実際、真空は平均すれば無(ゼロ点エネルギー)でも、一瞬一瞬では粒子と反粒子のペアが湧いては消えるような「何もないゆえの騒がしさ」を秘めています (Fluctuations in the void)。このように物理的真空ですら目に見えない振動で満たされているとすれば、意味が定まらない心の内側(意味真空)もまた、微かな意味のゆらぎで満ちていると考えられます。

図2: 物理学における真空のゆらぎの概念図。赤い光(レーザー)の干渉効果を通じて、通常は観測不能な電磁場の揺らぎ(波状のライン)が可視化されている (Fluctuations in the void)。何もない空間にも微細な変動が存在するように、意味が生じる前の心にも微細な「震え」が潜んでいると考えられる。
私たちが何かを表現しようとする直前、心の中には言葉にならないモヤモヤや高鳴りがあるものです。それは、完全な無ではなく未分化な全てを含む豊かな状態です。例えば、詩人がペンを手に取る瞬間、頭の中にはまだ言葉にならないイメージや感情の渦があるでしょう。その渦は単なる混沌ではなく、詩となる可能性が孕まれた生成空間なのです。この生成空間の特徴をまとめると次のようになります。
- 未分化性: 明確な主語述語や論理的区別がないまま、様々な可能性が重なり合って存在する(意味の多重性)。
- リズムと情動: 論理的内容ではなく、リズム・音の響き・感情のトーンといった形で動いている (
On Julia Kristeva’s “the semiotic” | feministtheory2013)。 - 外界との相互作用: 完全に内的世界というより、外界の刺激や記憶の断片が混然となって浮遊している(内と外の区別が曖昧)。
- 創発性: やがて訪れる表現行為(発話や創作)によって、一つの形に結晶化しうる潜在的な秩序を秘めている。
この「震えの構造」は、従来の二値的な意味論では捉えられません。白か黒か、真か偽かといった区別の前に広がるグラデーションの世界です。哲学者エトムント・フッサールは「判断が成立する前の経験(前判断的経験)」の重要性を説きましたが、それはまさに我々の論じている領域と言えます。そこでは経験はまだYes/Noの判断に分解されておらず、豊かな曖昧性を保っています。私たちはこの曖昧さを否定的にではなく創造的源泉として捉え、次章以降で数学的なフレームワークへと昇華させていきます。
第3章:Awaiトポス ―― 真理の外側にある空間
意味の揺らぎを形式化するために、本章ではまず論理の枠組みを一般化したトポスの考え方から出発します。トポスとは圏論における概念で、一種の「論理空間」を表現するものです。トポスにはその内部論理の「真理値対象」としてΩ(オメガ)と呼ばれる特別な対象が存在します (Subobject classifier – Wikipedia)。Ωはそのトポス内での真・偽の値をとる対象で、集合論のトポス(Set)ではΩ={真, 偽}に相当します (Subobject classifier – Wikipedia)。しかし一般のトポスではΩは単純な二値ではなく、内部に複雑な構造(例えばHeyting代数的構造)を持ちうることが知られています (Subobject classifier – Wikipedia)。
我々が注目するのは、この真理値対象Ωで表現される論理的真偽の枠に収まりきらない要素の存在です。通常の論理では命題は真または偽という二値(あるいはトポスによってはより複雑な値)のいずれかを取ります。しかし「言葉になる前の震え」は、真でも偽でも言い表せない性質を持ちます。それは「問いに対して答えが成立しない」という意味で、論理的枠組みの外側に位置するものです。
この概念を象徴する例として、禅の公案における答え「無(mu)」を挙げることができます。「ある問いに『はい』か『いいえ』で答えよ」と迫られたとき、禅僧は第三の答え「無」を示しました。これは文字通りには「無い」という否定を意味しますが、禅においては二項対立を超えた境地を表します。ロバート・M・パーシグの著書『禅とオートバイ修理技術』では、「muは『no thing(何ものでもない)』を意味し、『問いそのものを解消せよ(unask the question)』という意味である」と説明されています (Mu (negative) – Wikipedia)。つまり「はい/いいえ」の枠組みに答えを見いだせない問いに対して、「問いを立て直せ」というメタ回答としての「無」が提示されるのです。ここに、論理的真偽値Ωの外側に位置する特異な値のメタファーを見ることができます。
では、我々のモデルではこの「真理の外側にあるもの」をどのように扱うのでしょうか。そのために仮想的な対象Ω⁻¹を導入しましょう。Ω⁻¹とは「Ωの外側にある何か」を形式的に表現する記号上の存在です。数学的にはΩの“逆元”というより、論理体系を拡張するための新たな原理的対象と考えます。Awaiトポスとは、通常の真理値対象Ωに加えてΩ⁻¹を許容するような拡張トポスのことです。このトポスにおいては、命題(判断)は真でも偽でもなくΩ⁻¹に属するような状態が考慮されます。Ω⁻¹に属する判断とは、つまり「判断不能」や「未確定」といった状態を明示的に扱える判断です。
例えば、次のような三値論理を考えてみます。
- T(真): 通常の真理値「真」に対応(Ωの要素)。
- F(偽): 通常の真理値「偽」に対応(Ωの要素)。
- U(未定義): 真でも偽でもない状態(Ω⁻¹に対応する要素)。
単なる三値論理では「未定義」を一時的な未確定値として扱いますが、AwaiトポスではこのUを一級の存在(Ωに収まらない新たな対象への射)として扱います。重要なのは、Uが単なる第三の真理値というより、真理値体系への挑戦そのものである点です。Zenの「無」の答えが単なる「いいえ(No)」ではなく「問いの前提を崩す」行為であったように、Ω⁻¹は真偽という枠組み自体を揺さぶります。
物理学者ジョン・ホイーラーは「いかなる素朴な現象も、観測されるまでは現象ではない」と述べ、観測(判断)行為が現実を創発すると指摘しました (John Wheeler Saw the Tear in Reality | Quanta Magazine)。裏を返せば、観測される前の状態は現実(現象)として確定していないとも言えます。AwaiトポスにおけるΩ⁻¹は、まさに観測(判断)以前の状態を象徴します。それは「起こったか否かさえ定まらない出来事」のように、現象が現象として立ち上がる前のモヤモヤを含む領域です。この領域を形式に収めることで、論理と詩の境界に潜む真理の外側の空間を捉えようとするのがAwaiトポスの発想なのです。
第4章:Awai圏の構築 ―― 意味になりきらないものたちの圏
第2章・第3章で直観的に述べた「意味のゆらぎ」や「真理の外側の値」を、いよいよ圏論の言葉で定式化していきます。ここではAwai圏と呼ぶカテゴリー(圏)を構築し、その中で前章のΩ⁻¹を扱えるようにします。また、圏論のモナドを用いて、意味生成の過程をモデル化します。
4.1 Awai圏の定義
まず、Awai圏
- 対象 (Obj(
)): 意味が定まらない状態・対象の集合。例えば、詩的イメージ、曖昧な発話、未解釈の感覚入力など、「意味になりきっていないもの」全般が対象となります。対象 は内在的に様々な解釈可能性を持つ状態とみなします。 - 射 (Hom
): 対象 から への射 は、「 に内在する曖昧な意味のゆらぎが、 において何らかの形(仮の意味)を取る」対応を表します。直観的には解釈の一種の写像です。重要なのは、この射は一般の関数のような単値写像ではなく、非決定的あるいは重層的な対応である点です。形式的には は通常の圏の射と同様に合成可能ですが、その意味付けは「 の可能態が の可能態へ写る過程」と解します。 - 恒等射と合成: 任意の対象
には恒等射 が存在し、これは「 における揺らぎをそのまま保つ」操作です。射の合成は 内で常に定義されますが、可換律は一般には成立しません。すなわち、ある と が与えられても なら と は可換な図式を作らず、また との合成 と の結果は一般に一致しません。これは後述するように意味の射の非可換性を反映しています。
以上がAwai圏の基本構造です。この圏では、通常の集合圏とは異なり対象自体が曖昧さを宿し、射も単なる一価的関数ではありません。とはいえ、一応の圏の公理(恒等射の存在、合成の結合律)は満たすものとします。
4.2 非可換な意味の射
特に強調すべきは射の非可換性です。一般に関数の合成は可換図式を作りますが、Awai圏における射の合成順序は意味に影響を与えます。直観的に言えば、解釈や文脈付けの順序が結果の意味を変えてしまうのです。実際の社会調査の実験でも、質問の順序によって回答が大きく変わる順序効果が観測されており、それらは古典的確率論における交換法則(可換性)に反する現象として報告されています (Context effects produced by question orders reveal quantum nature of human judgments | PNAS)。
Awai圏の射
この非可換性をより身近な例で説明しましょう。例えば、質問1「あなたは幸せですか?」質問2「あなたは仕事に満足していますか?」という二つの質問を考えます。質問順序が「幸せですか?」→「仕事満足度?」の場合と、その逆の場合で、統計的に回答には差異が生じうることが調査から示されています (Context effects produced by question orders reveal quantum nature of human judgments | PNAS)。これは、一度「幸福」について考えた後では「仕事満足度」への感じ方が変わる可能性があるためです。すなわち、人間の心理は可換ではない演算のように振る舞います。同じ質問でも順序が異なれば得られる答え(意味)は異なるのです。Awai圏はこのような現象を抽象化し、射の合成という形でモデル化しています。
4.3 モナドによる生成論的モデリング
さらに、Awai圏には圏論的モナドを導入することで、意味の生成プロセスを記述します。モナドとは、ある圏から同じ圏への関手
このモナド
最後に、Awai圏にはΩおよびΩ⁻¹に対応する特別な対象も存在すると考えます。Ωは第3章までで述べた通常の真理値対象であり、Awai圏から通常の論理圏への関手を通じて解釈される終対象的な意味を表します。それに対し、Ω⁻¹はAwai圏内では初対象的な特異点として振る舞うかもしれません。すなわち、任意の対象からΩ⁻¹への射はただ一つ(観測不能の極限への射)であり、Ω⁻¹から他への射は存在しない(あるいは特殊扱いされる)といった振る舞いです。このように設定することで、Ω⁻¹はまさしく「あらゆる曖昧さの源であり、しかし決して観測者のもとへ直接届かないもの」として位置づけられます。
第5章:例と実装 ―― Awai圏における構造の事例化
理論的な構築を具体的なイメージで理解するために、Awai圏の考え方をいくつかの具体例に当てはめてみましょう。ここでは、詩的表現や日常的コミュニケーション、物理的世界の比喩など、異なる領域からAwai的構造を読み取ります。
5.1 詩的メタファーの射
詩におけるメタファー(隠喩)は、典型的なAwai的現象です。例えば「人生は旅だ」という一句を考えてみます。この文は論理的には命題「人生=旅」としては偽(人生は比喩的に旅と言っているだけで実際には旅そのものではない)でしょう。しかし詩的には深い意味を宿します。「人生は旅だ」という表現は、人生という対象から旅という対象へのAwai圏の射
このメタファー射
5.2 会話における曖昧発話とコンテクスト
日常会話でもAwai圏の構造は現れます。例えば、相手の発言が曖昧で意図を測りかねる場合を考えます。AさんがBさんに対し「昨日の件、まあ…その…」と言葉を濁したとしましょう。このAさんの発話は明示的な意味を伝達しておらず、Bさんはその真意を推し量る必要があります。ここでAさんの曖昧発話を対象
この例では、曖昧発話
5.3 量子的状況のメタファー
物理の世界にも、Awai的な挙動の類比を見出すことができます。典型例がシュレーディンガーの猫のパラドックスです。箱の中の猫が「生きている」と「死んでいる」の重ね合わせ状態にあるという量子力学的思考実験ですが、観測するまでは猫の状態は決定しないとされます。この「生死未定」の猫の状態は、論理的には「猫は生きている(True)」でも「猫は死んでいる(False)」でもなく、第三の値
シュレーディンガーの猫をAwai圏で考えると、箱に入った猫という対象
以上のように、詩から日常会話、そして物理的現象に至るまで、Awai圏の視点から再解釈できる例は多岐にわたります。これらの例は単なる比喩ではなく、人間や自然が本来的に持つ非決定性や文脈依存性を捉える新たな角度を与えてくれます。次章では、こうした構造において重要な役割を果たす「観測者」について掘り下げ、モデルにおける観測と生成の問題を論じます。
第6章:観測と生成 ―― 観測不能な観測者をめぐって
Awai圏において曖昧な状態が意味へと生成するとき、常に存在するのが観測者ないし解釈主体です。第5章の会話の例でも、Aさんの曖昧発話をどう解釈するかはBさんという観測者に委ねられていました。物理の例でも、猫の生死を確定させるのは観測者(測定行為)でした。モデル内にこの観測者をどのように位置づけるかは難しい問題です。なぜなら観測者自身もまたモデルの一部でありながら、同時にモデルの外から全体を眺める存在でもあるからです。
社会学者ルーマンは、人は誰しも自分自身を完全には観察できない(自らは常に「観測不能な観測者」である)と述べています (The Power of Paradox: Impossible Conversations – Brill)。人間は自分の意識を使って世界を観測しますが、その意識自体を同時に客観視することはできません。例えるなら、カメラがどんなに自分以外のものを写せても、自分自身の撮影は別の鏡やカメラを用いない限り直接にはできないようなものです。心理学的にも自分の無意識を完全に知ることはできず、「我思わぬところに我あり」といった逆説が成り立ちます。これはAwaiモデルにも通じるものがあります。観測者はAwai圏の中にいながら、その全体を決定づける働きをするのです。
Awai圏の構造を数理的に定義する際、観測者(解釈主体)は本質的に第二の層として扱う必要があるかもしれません。一つのアプローチは2-圏(二重圏)や高次のメタ圏を導入し、観測者を射ではなく2-射(射間の射)として位置づけることです。例えば、ある射
このパラドックスを乗り越えるヒントは、物理学における「主体と客体の相互構成」という考え方にあります。量子力学の測定では、測定行為が被測定系の状態を作り出すと同時に、測定結果が測定者の知識を作り出します。両者は相互に依存しており、単独で存在しえません。ホイーラーはこれを指して「参加型宇宙 (participatory universe)」と呼び、「宇宙の織物は無数の観測行為によって織りなされている」と述べました (John Wheeler Saw the Tear in Reality | Quanta Magazine)。観測者は宇宙を見る一方で、その観測行為が宇宙を形作るという双方向性です。この視点に立てば、観測者もAwai圏の外部にある絶対的存在ではなく、むしろAwai圏とともに生成する動的な存在と考えることができます。
我々のAwaiモデルでは、観測者はAwai圏と外部の古典的意味圏をつなぐ橋として働きます。観測者はAwai圏内の曖昧さを一つの意味に射影する関手
難解に聞こえるかもしれませんが、本質はシンプルです。それは「私たちは世界を解釈しながら生きており、その解釈行為が次の解釈を生む」という実感と地続きです。観測者である私たちは常に未知の状況(Awai圏の対象)に直面し、自分なりの解釈(射)を与えます。その解釈は時に誤解かもしれず、後で修正されるかもしれません。しかしそのプロセス全体が、世界の意味構造を絶えず生成しているのです。
第7章:世界を包む詩的構造
ここまで見てきたように、私たちの提示したAwai圏とΩ⁻¹のモデルは、論理と感性の狭間にある詩的構造を数理的に捉え直す試みでした。その射程は、詩や言語表現のみならず、人間の認知や物理的世界の在り方にまで及ぶことを示唆しました。本章では結論として、世界そのものが如何にこの詩的構造に支えられているかを考察します。
ドビュッシーの有名な言葉に「音楽とは音符と音符との間にある空白である」というものがあります (Claude Debussy – Wikiquote)。音と音の間の沈黙(間【ま】)にこそ音楽の本質が宿るというこの洞察は、我々の議論する「あわい」と響き合います。実際、世界の意味もまた、直接目に見える事物そのものよりも、それらの間の関係性や文脈(あわい)において立ち上がってくるのではないでしょうか。物理法則ですら、美しい形で統合されたときに初めて「理解された」と感じられるのは、それら事実間の構造(パターン)を人間が見出すからです。その意味で、世界は詩的とも言えます。なぜなら、詩とは個々の言葉の列以上のものであり、言葉と言葉の間に立ち現れる意味のネットワークだからです。
我々のモデルが示唆するのは、世界は厳密な機械論的体系というより、一種の詩的プロセスだという見方です。すなわち、万物は相互に関係づけられ、その関係性(あわい)の中で初めて各々が意味を持つようになるということです。この視点では、客観的事実と主観的意味、科学と芸術、論理と感性といった対立は融和し、一つの連続体を成します。論理は詩によって補完され、詩は論理によって構造化されるという二元の統合が起こります。
では、このような詩的構造として世界を見ることは、我々に何をもたらすでしょうか。第一に、それは包括的な理解です。部分と全体、主体と客体、事実と価値を分断せず、関係性の網の目として世界を把握することで、より統一的で動的な知の模型が得られます。第二に、それは寛容さと創造性です。曖昧さや非決定性を排除すべきノイズではなく、積極的に活用すべき創造の源と見做すことで、新たな発見や表現が生まれるでしょう。詩人が言葉遊びや曖昧さから美を見出すように、科学者も未確定な仮説や矛盾に満ちたデータから新理論を紡ぎ出すかもしれません。事実、科学史を振り返れば革命的な理論は往々にして既存パラダイムの「あわい」から芽生えています。
最後に強調したいのは、人間一人ひとりが自身の世界の詩人であるということです。私たちは日々、経験と思考という材料をもとに、自分なりの世界観(現実の解釈)を紡いでいます。それは定式化された論理だけでは追いつかない複雑な編み物です。本稿のモデルは抽象的な試論ではありますが、その根底にあるメッセージは、世界を構成するのは単なる客観的事実の集合ではなく、観測者たる私たちの関与によって編まれる意味の織物なのだということです。ホイーラーの言葉を借りれば、「宇宙は無数の観測行為(=意味付与行為)によって織り上げられている」のです (John Wheeler Saw the Tear in Reality | Quanta Magazine)。
論理と感性のあわいに立つ視点から眺める世界は、決して混沌でも無味乾燥な機械でもなく、秩序と可能性が響き合う詩そのものです。私たちが生きるこの世界の構造を詩的に捉える感性と、それを数理的に把握しようとする理性を融合することで、未知の知見が得られることでしょう。本稿が描いたAwai圏とΩ⁻¹の物語は、その一つの試みとして、読者の思考の中で新たな連想や問いを喚起することを願っています。最後まで論理と感性の架橋の旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。
付録:Awai記法と詩的形式
本付録では、本稿で提案した概念のいくつかを簡潔に表す記法と、その詩的解釈についてまとめます。
- Awai (あわい): 古語「あわい」に由来し、「合わさる所」を意味する。本稿では論理と感性、主体と客体、意味と無意味の重なりの場を指す。数理モデルではAwai圏
として定式化された。 - Ω: トポスにおける真理値対象。論理的命題の値を取る対象で、通常
やより複雑な構造を持つ (Subobject classifier – Wikipedia)。Awai圏では通常の意味解釈が収束する先の対象とみなされる。 - Ω⁻¹: 真理値の外延を表す仮想的対象。真でも偽でもない状態を指示し、Zenの「無」に象徴されるような二項対立を超えた概念値を表現する (Mu (negative) – Wikipedia)。Awai圏では特異な初源的対象として位置づけられる。
- モナド
: Awai圏 上のモナド。曖昧な対象からその意味展開を得る自己関手であり、単位 と乗法 により意味生成の過程を体系化する。 ()で言及されるように、言語の曖昧な意味現象を捉える道具としてモナドを使用。 - 観測不能な観測者: 自身を完全には観察できない観測主体 (The Power of Paradox: Impossible Conversations – Brill)。Awaiモデルでは、観測者は圏内の曖昧さを確定しつつ自身も変容するループ構造の担い手。形式的にはメタレベルで扱われ、参与型の宇宙観 (John Wheeler Saw the Tear in Reality | Quanta Magazine) (John Wheeler Saw the Tear in Reality | Quanta Magazine)に対応。
- 非可換な射: 合成順序に依存して結果(意味)が変わる射。可換図式が成立しないような射。同時通訳、質問順序効果 (Context effects produced by question orders reveal quantum nature of human judgments | PNAS)、詩的メタファーなどに見られる。記法上、
を明示することで表される。 - 詩的形式: 論理記号だけでなく、本文中のメタファーや物語的記述そのものもまた一種の形式(フォルム)として重要視する立場。本稿自体が論理展開と詩的表現の交錯を試みたように、記法と言語表現の双方で意味が構築されることを示唆。
以上の記法・概念群は、純粋な数学的対象であると同時に、読者の感性に訴えかける詩的なイメージを伴っています。たとえばΩ⁻¹という記号は単なる数式ではなく、「無限小の震え」を感じさせる象徴詩の一行とも読めます。モナド
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