私たちが、家族である/になるということ【きのう何食べた?】

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「LGBTドラマ」の潮流

ここ数年で、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの総称)という言葉は、認知度が急速に上昇したように思う。

日本最大のイベントである「東京レインボープライド」(TRP)は、年々参加者が増えているし、各メディアでも、LGBTが直面する問題が、頻繁に報じられるようになった。

ドラマの世界でも、当事者の生を題材として取り扱う作品が、複数登場しはじめている(『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』、『俺のスカート、どこ行った?』、『ミストレス』など)。

その傾向自体に賛否はある。ただ、これまで禁忌的な扱いを受けていたトピックについて、多くの人々に、考える機会を与えたことは否定できない。

この潮流の中で、2019年4月クールにテレビ東京系列で放送されたのが、『きのう何食べた?』だ。

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過去の記憶

『きのう何食べた?』は、よしながふみの人気漫画を実写化した作品。

原作は、『モーニング』(講談社)で連載中で、2019年6月現在、単行本は15巻まで刊行されている。

きのう何食べた? 15 (モーニングKC)[本/雑誌] (コミックス) / よしながふみ/著

正直に言えば、私は、この作品を視聴することに、当初、若干の躊躇いを感じていた。

テレビ東京には『孤独のグルメ』という、同じく「食」をテーマにしたヒット作がある。ゲイのセクシュアリティが、どのように描かれるかは、気掛かりだった。

ただ単に、週末の深夜、ゲイが美味しそうな料理のレシピを紹介するといった、「飯テロ」ドラマ扱いに終わるのかもしれない。そのような危惧を抱いていたのは事実だった。

いわゆる「LGBTドラマ」は、当事者の生に対して、目には見えない深い地点で、影響を及ぼす場合がある。

この物語には、自分自身の過去と重なり合う部分が、存在する。ドラマ版のスチール写真を見ているだけで、心の奥底に潜んでいた痛みが、蘇るような気もした。

一人でも独りではない

だが、実際の映像を観て、そのような心配は杞憂に終わった。

ドラマ版が誤った道筋に進まなかったのは、ダブル主演である、西島秀俊さんと内野聖陽さんが、原作を真摯に受容し、理解していたことが大きい。

ケンジ(矢吹賢二)役の内野さんは、その何とも愛らしい仕草が、多くの視聴者の心を捉えた。しかし、その演技は決して類型的なものではない。

5話。内野さんの演技で、深く私の心を打ったのは、「シロさんはさ ちょっと ぜいたくだよね」の表現だった。

シロさんの愚痴を黙って聞いていたケンジは、自分だけではなく、友人たちの家庭環境にも、想いを巡らせていたのかもしれない。その感情が揺れ動く間が、リアルだった。

私だけかもしれないが、作品中のエピソードで、最も心に重く響いたのは、この回で、ケンジが「サッポロ一番」を作り、年越しする場面だった。

シロさんが戻ってくるという安心感があるから、一人でも独りではない。

ゲイにとって、実家との関係は時に複雑で、それまでケンジが過ごした時間を想うと、涙が溢れてきた。

また、9話の、「シロさん 大事にするよ 大事にする」は、原作では、店長との食事からの帰り道に、ケンジが心の中で呟いている言葉。

もしかしたら、あり得たかもしれない可能性が、ドラマ版では描かれている。

この場面が演技に見えないのは、内野さんが、その想いを大切に抱いてきたケンジの時間を、身体で理解していたからだと思う。

感情の発露

また、シロさん(筧史郎)を演じた西島秀俊さんも、回が進むごとに、役との波長が同調してゆくのが判った。

物語の中で、揺れ動くケンジの心を受け止める役割が多かったシロさん。その彼が、感情を発露させたのが、11話だった。

シロさんは、友人である佳代子(田中美佐子)の自宅で、親子の問題を目の当たりにし、自分が決して孤独な存在ではないことを知る。

そして、小日向(山本耕史)・(磯村勇斗)のカップルを招いたクリスマスの夕食で、シロさんは、ケンジと共に、正月に帰省することを宣言した。

この時の西島さんの演技には、嘘が無かった。

それまでシロさんが抱えていた葛藤が、初めて、その身体に表出した。不意に零れそうになる涙は、その場に居合わせた3人の心を震わせた。

ドラマ版のシロさんとケンジは、原作における描写を完全に再現している訳ではない。

それにもかかわらず、台詞の一つ一つに、説得力があるのは、西島さんと内野さんが、自身の想像力を通じて、それぞれの人物像を、立体的に映し出しているからだと思う。

移り変わる季節

1話、シロさんと喧嘩する中で、ケンジが見せた眼差しには、言葉にはできない哀しさが宿っていた。

二人の日々を重ね続けても、打ち消せない不安。この時のケンジの涙が、記憶からいつまでも消えないのは、その関係性の儚さを、私が知っているからかもしれない。

10話で、ケンジが爆発させた感情。揺れ動いた視線の先に、過去の経験が視える。

誰しも、同じような経験がある。それは、シロさんも例外ではない。だから、シロさんはケンジの痛みを受け止めることができる。この場面は、当事者間に発生する問題を、美化せずに描き出していた。

本作は、回が進む中で、季節が移り変わり、時が流れている。

ふとしたことで全てが壊れてしまいそうな二人の関係性を、あの小さな食卓が、繋ぎ止めている。

映像には残らない時間の中で、シロさんとケンジは、微かな偶然を、必然として、今も択び続けているのだと思う。

一石を投じる

8話は、テツさん役の、菅原大吉さんの演技が素晴らしかった。

真実の感情は、台詞では捉えきれない。その余白が、テツさんとヨシくんの過去を想像させた。

この回は、同性婚に関する議論に一石を投じた可能性がある。

遺言書を作成し、同性パートナーに財産を残すことはできるが、法定相続人である親から「遺留分」の請求があった場合、それに応じなくてはならない。

家族とのトラブルを抱えやすいLGBTが、養子縁組を選択する大きな理由。

テツさんの「僕は、歯を食いしばって貯めた金を、田舎の両親にびた一文渡したくない」という言葉は、私たちの心にずっと響く。

柔らかな光

この作品は、当事者の抱える問題に、柔らかな光を照らしていて、その陰が生む形に、視聴者が、それぞれの想いを馳せることができる。

10話のラストで、ケンジが何気なく提案した温泉旅行も、本当は、切実な願いだということが判る。私も実際に経験したけれど、何処へ行っても、私たちは奇異の目に晒される。

二人が家の中で食べた遅い朝食は、幸福だけを象徴しているのではない。

だが、それでも、希望は残されている。

最終話。シロさんは、長い時間を掛けた後、ケンジと一緒に商店街を歩き、周囲の目を気にせず、お互いの会話を楽しめるようになった。

以前は、好物の西瓜を食べる時ですら、内面化した他者の視線と戦っていたシロさん。その閉ざされた心の扉は、いつの間にか開きかけていた。

それは、決して劇的ではなく、華やかでもない日常。ただ、その何気ない日常の掛け替えのなさを、シロさんとケンジの二人は知っている。彼らの生活は、この先もずっと続いてゆく。

当然だけれど、ゲイは年を重ねても、生きてゆかなくてはならない。当事者のエイジングを正面から扱うこの作品は、とても貴重だ。

鏡の前でシロさんを抱きしめるケンジ。彼らは、日本の法律上は、他人同士でしかない。

二人は、不安定な関係性の中で、懸命に家族「になる」ことを続けている。

その日々の連続が、いつか、私たちが家族「である」ことの意味を、変えてゆくのかもしれない。

続編への期待

ドラマ版のヒットを受け、渋谷のGALLERY X BY PARCOで開催された「きのう何食べた?展」には、私も足を運んだ。

男女問わず多くのファンが訪れ、ジルベール(航)が作品中で着用した「針ネズミTシャツ」は、途中で完売するほどの人気だった。

視聴者から大きな反響を呼んだ本作は、早くも続編への期待が高まっている。原作では、今後も、京都旅行などの印象的なエピソードが満載で、実現の可能性は高い。

そう言えば、7話の、ココロカフェでの食事の後、シロさんとケンジが、ルミエール前の通りを歩いていたのは、何故だろう。

真っ直ぐ帰るだけであれば、あの道を通る必要はない。小日向・航のカップルと別れた後に、二人だけで、少し回り道をしていたのかもしれない。

そんな、映像には描かれない二人の姿を想像しながら、私は、また彼らが一緒に食卓に座る日を、静かに待ち望んでいる。







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