青い翳とオレンジの境界線【東浩紀『ゆるく考える』】

sunset

二次創作

東浩紀さんの『ゆるく考える』を読んだ。

ゆるく考える [ 東 浩紀 ]

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この本の最後に収められている「ゲンロンと祖父」では、東さんの人生が、自省的な文体で綴られている。

「自分の限界」を受け容れ、それを「運命」として肯定することで、東さんは、自分自身の生に意味を与えている。

この文章を読んで、私も、祖父の記憶について、書き留めておきたくなった。

これは、あえて云えば「二次創作」なのかもしれない。

どこまでが虚構で、どこからが現実なのかも判らない、そのような物語。

永い独り言

私は幼い頃、父方の祖父母と共に暮らしていた。

祖父は気性が烈しい人で、若い頃は、祖母や父に対して、手を上げることも多かったそうだ。だが、私に対しては、一度もそのような行いをしなかった。

私は夜になると、祖父と祖母の間に挟まれて眠りに就いていた。

祖父は、眠る前に、私に昔の記憶を語って聴かせた。

同じ話を何度も何度も繰り返していた祖父を、私は時に煙たがって、暴れたりしていたが、彼は気にしてないようだった。

今から思えば、それは、永い独り言だったのかもしれない。

疎らな糸

私は、彼の物語を、再現することができない。

当時の記憶を手繰り寄せるたびに、それは波に消える砂の模様のように、どこか遠くへと去ってしまう。

私は、彼にどうやって謝ればよいのだろう。私は、謝り方を知らないまま、今までの時間を過ごしてしまった。

けれど、私は、途切れ途切れに視たものを、疎らな糸で織物を紡ぐように、語ることなら、できるのかもしれない。

そう思いながら、キーボードを打っている。

声の響き

彼は、秋田の小さな町で生まれた。生家は豊かだったが、家族を巡る問題に嫌気が差し、若くして上京した。

彼は、立川に在った商店に住み込み、働いた。そこは、ある有名な女優の実家だった。

時折交わされる、彼女との会話は、取り留めのないものばかりだったが、それは彼にとって、密かな自慢だった。

間近にいた女性の、華やかな人生を見詰めながら、彼はいつしか、歌手を目指すようになる。

彼は、自らが生まれた土地の民謡を愛していた。それを唄う間は、普段とは異なる世界に揺蕩うことができた。

彼は、どこからか伝手を辿って、当時一世を風靡した歌手の付き人として、日本中を旅するようになる。

そして、公演がある日は、前座として、民謡を唄い続けた。

祖父の声は、独特な深い響きがして、私は布団に潜りながら、その時の姿を想像していた。

前線と泥濘

彼は、ある日、満州に居た。

彼は、偶然、前線に送られる運命を逃れた。

泥濘んだ道を歩きながら、どこが目的地なのかも知らずに、時が過ぎるのを待った。

ブラウン管と歓声

日本に戻った彼は、北海道の、ある港町で、肉体労働者として生活するようになる。

彼は新しいものに目がなく、当時発売されたばかりのブラウン管のテレビを、誰よりも早く手に入れた。

貧しい長屋が集まる場所で、近所の子供たちが歓声を上げながら、夢中になって、画面の向こうにある世界を覗き込んでいる。

歌手と観客

私が中学生の時に、祖父は老人介護施設に入居した。詳しい理由は定かではない。だが、そこでは祖父は人気者だった。

周りの老人達にいつも民謡を教え、何かの催事があると、自らステージに立って唄った。

可笑しいのは、ステージに立つ時だけ、明らかに造り物の鬘を被ることだった。

私は内心恥ずかしかったが、壇上で堂々と振る舞う祖父の姿を、観客席から眺めていた。

薄れる世界

だが、彼はいつしか、眼の病を患うようになる。少しずつ狭まる視界と共に、世界が薄れてゆく。

病床に伏せる彼の姿は、日を追うごとに弱々しくなった。

彼が居た病院は、私が通う高校のすぐ側にあって、私は、放課後の時間を彼と過ごすようになった。

彼の眼の底には、青い翳が沈み、私を私と気づかない時もあった。

夏休みが少しずつ過ぎていき、私は彼の傍らで、白いカーテン越しに海を眺めていた。

潮風の匂いはいつも変わらずに、そこに漂っている。

射し込む光

ある土曜日の昼に、私はオレンジ色の、ボーダー柄のTシャツを着ていた。

それは買った後に気づいたが、私には似合わない色だった。少しがっかりとした私は、仕方なく、その服に袖を通していたように思う。

だが、祖父の居る病室を訪れた私の姿を、彼は捕らえた。

私が反射する光が、祖父の目を通じて、彼に届いていた。

私は嬉しくなって、その似合わないTシャツを、いつまでも大事にして、彼に会い続けた。

赦しと願い

上京して大学生になった私は、いつの頃からか、オレンジ色を身に着けなくなった。

その理由が、今の私には判らない。

大学4年生の夏に、祖父は瞼を閉じた。

その底に沈んでいた、青い翳は、どこに消えてしまったのだろう。

この歳になっても、私には知り得ないことが多すぎて、時々、私は打ちのめされたような気分になる。

私の肉体には、彼の声が今も響いている。

あまり上手に彼の歌を唄えない私を、赦してほしいと、私は独りで、願い続けている。







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