凍て付いた場
「ロン、48000」
前原雄大の声が重く響き渡った瞬間、卓上の空気は凍て付いていた。
Mリーグ初となる親の役満に、多井隆晴は放銃した。
開かれた手牌の上に、視線が揺れ動いた後、本場を冷静に確認して、点棒を支払った。
この時の彼の表情を、私は今も忘れることができない。
最速最強
多井隆晴は、渋谷ABEMASに所属するMリーガー。
キャッチフレーズは「最速最強」。その名の通り、日本に数多く存在するプロ雀士の中でも、トップレベルの実力者だ。
私が彼のファンになったのは、Abema TVが主催する長期リーグ戦、「RTDリーグ」がきっかけだった。
RTDリーグは、サイバーエージェント代表取締役の藤田晋が、精鋭のプロ雀士達を招待し開催した、特殊なタイトル戦。その中で多井隆晴は、初代優勝者の座に就いた。
彼は、選手としてだけでなく、解説者としても、私を惹き付けた。
その、時に軽妙すぎる話術に、最初は抵抗を感じたこともある。だが、回を重ねるごとに、そのユーモアの中に潜む、鋭い視点に心を動かされるようになった。
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多井は、明晰な論理力に基づいて、選手の打牌を正確に予測する。そして、その思考の経路を、視聴者が理解できるように、噛み砕きながら説明する。
場の流れを読み、適度に空気を弛緩させながらも、正念場では、誰よりも深く集中する。
その巧みな語りの陰には、絶え間ない努力がある。現在の日本で、ただ単に麻雀が強いだけでは、プロ雀士として生きてゆくことはできない。
自身に要求される役割を認識した上で、麻雀界全体を盛り上げようと努める。多井の「プロ雀士」としての矜持は、誰も否定できない。
日々の連続
多井のこれまでの人生は、決して順風満帆であった訳ではない。彼の過去については、『麻雀プロMリーグ選手名鑑』で確認することができる。
証券会社のサラリーマンとして勤める傍ら、プロ雀士として、日本プロ麻雀連盟に所属。ここで、ビッグタイトルである「王位」を獲得し、連盟最高峰のA1リーグに昇格。
その実力から、未来を嘱望された多井だったが、ある件を契機として、連盟を離れることになる。
その後、自身が代表を務めるプロ麻雀団体、RMU(Real Mahjong Unit)を設立し、懸命に、地道な取組を重ねた。その日々の連続が、現在の彼を築き上げている。
第6期RMUリーグ優勝は、ラシセンスSS、多井隆晴プロでした!!
おめでとうございます! pic.twitter.com/F9X7dpka8B— プロ競技麻雀団体RMU (@RMU1) February 1, 2015
1位指名
Mリーグドラフト会議。この場で、多井は渋谷ABEMASから1位指名を受けた。
渋谷ABEMASのスポンサーは、サイバーエージェント。監督は、藤田晋。名前を呼ばれて起立した多井の目には、涙が浮かんでいるように見えた。
ドラフト会議の結果、多井は、白鳥翔(日本プロ麻雀連盟)、松本吉弘(日本プロ麻雀協会)とチームを組むことになった。
所属団体も年齢層も異なる3名だが、彼らが集まると、不思議なほどにバランス良く纏まった。最年長の多井がリーダーとなり、チームを率いてゆく未来が視えた。
序盤の楽観
2018年10月に開幕したMリーグ。ABEMASは非常に好調な滑り出しを見せた。三者が全員、異なる個性を発揮しながら、勝負をリードしてゆく。特に、多井の試合巧者振りは見事だった。
Mリーグの試合はAbema TVの「麻雀チャンネル」で生中継され、全国の視聴者が、選手の打牌一つ一つにコメントを寄せる。
その選択を誤れば、容赦無い批判が飛ぶ。この極度の緊張感の中で、ファンとスポンサーからの期待に応えなければならない。
無数のTV対局を勝ち抜いてきた多井は、常に冷静だった。与えられた手牌を見極め、対局の方向性を瞬時に判断する。時には、第一打から守備に回り、ライバルへの放銃を回避する。
多井の強固なリーダーシップに支えられたABEMASは、チーム成績でも上位を維持。決勝戦となる「ファイナルシリーズ」への進出は、ほぼ確実かと思われた。
だが、麻雀の世界は、非情な程に、厳しい。
予期せぬ逆襲
途中から、チームの調子が少しずつ、崩れてきた。得意のスピード感が奪われ、失点を重ねる展開が目立つようになった。
序盤で長らく苦戦していた「魔王」佐々木寿人(KONAMI麻雀格闘倶楽部)や、「セレブ打法」で一躍名を馳せた黒沢咲(TEAM雷電)が、圧倒的な胆力で、勝負の流れを支配してゆく。
パブリックビューイングが開催された10月26日、Mリーガー最年少の松本は、寿人に、役満・国士無双を放銃してしまう。その後の松本の指先は、画面を通じてはっきりと判る程に、細かく震えていた。
序盤では、勝利者インタビューで明るく振舞っていた多井も、徐々に、その眼差しに緊張感が帯びるようになった。
季節が冬に移ると、Mリーガー達をインフルエンザの猛威が襲う。多井も、敢えなく病に倒れた。残された松本、白鳥の二人は、懸命に闘うが、苦戦を強いられる展開が続く。
いつの間にか、ABEMASは、決勝進出ラインの4位から滑り落ちてしまう。
絶対的な使命
Abema TVの運営企業・サイバーエージェントがスポンサーを務めるチーム、「渋谷ABEMAS」。多井にとって、ABEMASをファイナルシリーズに進ませることは、絶対的な使命だった。
彼はおそらく、Mリーガー21名の中で、最も過酷なプレッシャーに曝されていたのではないかと思う。
前線に復帰した多井は、覚悟を決めて、残りの試合に臨んだ。
鬼神の憑依
それは、「鬼神の憑依」としか形容できないほどの変貌だった。
積極的にリーチを掛け、他家の進行を食い止める。相手から先制攻撃を仕掛けられても、最後まで聴牌を諦めない。僅かな間隙を縫うように、和了を重ね、点差を開いてゆく。
終盤の多井隆晴は、序盤とは別人のように見えた。守備重視の姿勢から一転し、烈しい攻撃の手を緩めない。
重い緊迫感を跳ね返し、連戦を続けた彼は、レギュラーシーズン終了時に、11連対(1位と2位のみ連続)という大記録を打ち立てていた。
園田賢、滝沢和典といったライバル達を抜き去り、個人成績でも首位を獲得。その驚異的な力の前に、チームメイトの白鳥と松本でさえも、恐れをなすほどだった。
内心の反発
多井は、自身の実力で、ABEMASをファイナルシリーズへと導いた。
この時の彼は、私がなぜか、一種の「反発」すら覚えていた位、強かった。このまま、ABEMASが快進撃を続けて、優勝を勝ち取るのかもしれないと予想していた。
渋谷ABEMAS決起集会してきました♪
明日からいよいよファイナル!!!
あっという間の1か月になりそう!最高の1か月にするよ!! pic.twitter.com/iAGHbjYeep— 松本 吉弘 (渋谷ABEMAS) (@yoshihiro_npm) March 1, 2019
冗談で、「私が、渋谷ABEMASの多井隆晴を応援しない3つの理由」というタイトルの記事を書こうとすらしていた。
けれど、麻雀の世界は、果てしなく、厳しい。
一牌の後先
2019年3月10日、ファイナルシリーズ4日目の第1試合。中盤まで、多井は試合を大幅にリードしていた。余程の事がなければ、そのままトップで逃げ切れる。誰もがそう信じていた。
だが、麻雀では時に、その「余程の事」が起きる。
南1局。親番は、麻雀格闘倶楽部の前原雄大。その手に重なった三元牌を、前原は見逃さなかった。發と中を素早く鳴き、5巡目にして、役満・大三元を聴牌。
多井が1筒を捨てた後、前原は3索と1筒を入れ替える。一牌の後先。残酷にも、前原の当たり牌はもう1枚、多井の手の中に潜んでいた。
解説・内川幸太郎の悲痛な叫び声は、卓上に届くことなく、多井はその牌を河に放った。
最後の瞬間
ABEMASはこの日、3連続でラス(最下位)を引いた。チームメイト全員が試合に出場したが、敗北した。
試合終了後、多井の言葉を目にした私は、その雨の冷たさを、想像することができなかった。
いっぱい泣いた
雨だから誰にもバレなかった
小さい頃から雨が嫌いだったから
初めて雨に感謝したまだ半分あるし
次の試合まで2週間もあるので
今までしなかった事とかして
おもいっきりリフレッシュする半荘1回すら満足に打てた事はないし
つらい事ばかりだけど
いまこの瞬間も
麻雀が好きなんだ— 多井隆晴(渋谷ABEMAS) (@takaharu_ooi) March 10, 2019
Mリーグのファイナルシリーズは、残り2日間。現在の首位は、4位から奇跡的な逆転劇を演じた赤坂ドリブンズ。ABEMASとの得点差は、絶望的なまでに広がっている。
だが、私が心の中で、一つ決めたことがある。
私は最後の瞬間まで、渋谷ABEMASの多井隆晴を応援する。
多井隆晴は、これまでいつも、誰かの為に麻雀を打ってきた。けれど、私は、その気持ちを、受け止めきれていなかった。
Mリーガーとしての多井に対して、私は、何も出来ない。でも、私は、雨に打たれる彼に、そっと傘を差し出せるような人でありたい。
もうすぐ、今まで見守ってきたMリーグが終わる。その結果がどうなるか、それは誰にも判らない。だからこそ、私はその瞬間を、目撃したいと思う。
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